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解像度を下げたい


解像度とは、簡単に言うと1ミリ四方の中にどれだけのpixelが入っているか?ということだ。6pixelくらいしか見てない人もいれば、24pixelに見える人もいる。


私は私生活でも仕事でも、めちゃくちゃ細かいことが気になる。そして身の回りのこと全てを素早く理解して処理しようとして疲れてしまう。

オットと並んで歩いてても、自分には周りの人々、建物、ポスターや看板の内容、民家の気配、などなど飛び込んでくるものが膨大にあって忙しい。夫はというと、のんびりと、空気の匂いや雑踏を楽しんでいる。羨ましい。私だって、モフモフとジャムパンを食べたい。

音に関しても、音楽や音は一旦聴くとかなり細部まで頭に入る。場の空気を読むのもできる方だ。
人生の解像度、高め。



これはデザインの仕事では有利に働くことも多いが、手を抜けなかったり詰め込み過ぎてひとり相撲におちいったりで毎日ヘトヘトになる。また細部を見すぎて大きなミスを見逃したりもする。

人間関係も面倒だ。いいところも悪いところも見えすぎて、自分と同じくらい見えてる人とは深く仲良くなれるが、そうでない人とは全く付き合えない。好き嫌いを上から判断してしまったり仕切りたがって嫌われる。(基本、嫌な人)

なぜ自分がそうなってしまったのかと思うと、思春期にそうなるように無意識に訓練してしまったからだと思う。

子供の頃から小説、漫画、音楽など知らない世界を見ることが好きだった。子供の頃に活字をたくさん読んだのが世界の解像度を上げるために役立ったようだ。音に関しては、クラシックを大学生まで凝って聴いていたので複数の音を一度に聴くことに慣れている。今でも比較的複雑な構成の音楽が好きだ。(シンプルなものの良さを愛でられないのは大きな弊害である)

この性質で一番困っているのが、オットや家族に対して同じような見え方を求めてしまうこと。それがなかなか大変で、難儀している。なんであーしないの?こうすれば?とつい言いたくなってしまうのだ。うざすぎる。オットごめん。(なお友人には大丈夫です、他者であるという意識が上回ります)

今はなるべくぼーっとしたり何も考えない時間をつくるのを意識して訓練している。
夫に対して先回りしてあーだこーだ言わないこと。
悪意のない人に対して(頭の中で)細かくツッコミをいれないこと。このままでは確実に嫌なババアになる。ボケたら最悪だ!

もっとおおらかな人になりたい。
切実に。
いい歳だしね。

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