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「価値のない人間は必要ない、のか?」メンタリストDaiGoの炎上を受けて、今の世の中の評価基準について少し書きたくなった。

先日DaiGoが炎上した。


「俺にとって価値のない人間は必要ない」


今回の炎上した実際の発言は、これよりももっと過激だ。

でもシンプルにまとめると、この一言に尽きるだろう。

たとえこれが炎上マーケだったとしても、

個人的にはあとから知ってかなり不快だった。


今回この記事を書く理由


僕は言われた対象者層でもその関係者でもないです。

でもいま対人支援を仕事にしていることもあり、

このような「人を評価する」テーマに最近関心が強く、

ここ二三日ずっとこの事に心を囚われていたので、

思い切ってNoteを書くことにした。

というより、書かなければならないと感じた。


だが、この記事でDaiGoについて扱うつもりはない。

もっと僕やみなさんにとって身近な問題を書きたい。

そう、会社や社会の評価基準について。


「俺にとって価値のない人間は必要ない」


みなさんこんな言葉、もしくはこれに近い言葉を

一度や二度見聞きしたはことはないだろうか?


僕は何回かある。


「あの人全然使えねーじゃん。まじいらん。」


そう、これです。会社内です。

僕に対しての言葉ではなかったが、

初めてこの言葉を聞いたときは、ドン引きしたのを覚えている。

僕は仕事ができる方ではなかったので、

あ、これはもしかして裏でも言われているなと思ったときは

さらにゾッとした。


DaiGo騒動はあくまで社会全体での氷山の一角


だから今回DaiGoの騒動は、

DaiGoの発想が特段に歪んでいるわけではなく、
(これは擁護ではない)

わたしたちが日常的に行われているそれを、

対象規模を大きくして、公の電波に載せて、

多くの人の目に触れたから大きな問題になったのだと捉えている。

言い方や対象者の範囲は違えど、

本質的によく聞く発言だと個人的に捉えている。


この発言の背景を広く捉えると、

今の日本社会の資本主義の実情を、

そのまま反映しているように思える。


資本主義社会における評価基準


資本主義時代における、未だに評価の主流の考え方として、

「成果」や「売上」、「収入」重視があげられる。

数字が大きいものが正義。

これを完全否定するつもりはないし、できないが、

このメンタルモデル(固定概念)があまりにも強くなると、

人をあくまで数字(今回の場合で言うと納税額)で評価する

という不健全な評価に繋がると思っている。

そしてこの固定概念を強固にしているのが、

現在の教育制度であり、会社の評価制度だと考えている。


価値や役に立つとは一体なんなのか


売上をたくさんあげていれば、それは正義なのか。

収入をたくさん得ていれば、それだけがその人の価値に繋がるのか。

多分みなさん「違う。」と答えると思うんですよね。


仮に、売上や納税額だけがすべてのものさしで、正義だとすれば、

生まれたての、言葉もしゃべれない、トイレもまともにできない、

ただワンワン泣いている赤ちゃんなんて、なんの役にも立たないし、

なんの価値もないはずで、

そもそも生まれてくる必要がない話になってしまう。


ではわれわれは、なぜ赤ちゃんを生かすのか。

彼らの価値と一体なんなのか。


「ただそこにいるだけでいい」世界感


僕らの多くは、年を重ねるに連れて、

人はなにかの価値を生まなければならないし、

そこにいる意味がないと、思い込むようになる。


でも子供を頃をさかのぼってみると、

「ただいるだけでいい」と思われていたはずだし、

僕らも今の子供たちに対してそう思っているはず。


ただいるだけでいいんです。


実は僕らが気づいていないだけで、

だれかになにかしらの価値を提供しているはずなんです。

その価値を感じられるのは、今すぐじゃないかもしれない。

来年かもしれない。50年後かもしれない。

でも本当ならただいるだけでいいんです。

そんな世の中になってほしいです。


切り捨てるではなく活かす方向へ


「この人使えないから、いらん」

ではなく

「この人がいることが正解だという前提に立ち、

 この人の提供してくれている意味とは?」

と考えるのがより建設的で、健全的ではないだろうか。


言うなれば、DaiGoが炎上騒ぎばっか起こしているからいらん、

とかではなく、彼の炎上騒ぎがもたらしてくれている意味はなんのかを

考えるのが社会にとって有益ではないだろうか。


最後に僕からのお願い


今回の騒動で、大方今後の論点の流れが、

社会のセーフティーネットの話や

ホームレスの話が論点になっていくと思うが、

個人的にはそれだけで終わってほしくない。


今回の彼の炎上騒動をより広く捉え、

敢えてポジティブに考え活かす方向性を取るならば、

もっと私たちが普段扱わないテーマ、

いまの社会や会社における評価基準の話や

そもそもの今の日本の社会観の話を

もっと多くの人に議論していただきたいと願って、

この文を締めたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


余談

今回の炎上騒動の内容を敢えて、対人支援分野でよく使われる

「成人発達理論」の発達段階でDaiGoの発言見ると、

彼はもしかしてまだ「利己的段階」もしくは、

「道具主義段階」に当たるのではないかと思ったりします。

だからなんだという話ではないです。

ただ仮にそうなら、読書家の彼に、僕からはこの本をオススメして、

この投稿を終えたいと思います。



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