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Camera Notesサンデースペシャル  なぜ私はデジカメの記事を書かないのか?その理由は単純

私が自分にプライドとして感じているのは世界のカメラメーカーの中で数があるが日本で最初に作られたデジタルカメラのレビューを担当したことである。それはリコーの1番最初のモデルのデジタルカードが1 MBでその値段が25,000円もしたしまだ企画が定まっていないから画像をPCに落とすのにシリアルポートで大変な時間がかかったと言うことを体験している世代である。

そうだその前にアップルのQuickTakeが出てきてそれもカメラ雑誌のレポートをした事はあるがバッテリーがすぐなくなるかそれとも内蔵メモリーがなくなるかでスポーツライクな楽しみがそこにあったと言うことだ。QuickTakeの頃は内蔵メモリーだけでまだメモリーの交換はできなかった。

そういう時代が四半世紀前であって、当時は350,000画素が標準で1,000,000画素なんてプロ用でフィルムカメラと同じにクオリティーを保つならば3,000,000画素あれば大丈夫と言うような時代だった。当時のヨドバシカメラに売りに行く各メーカーのセールスマンの文句は画素数なのである。

それからあれよあれよと言う間に今のようなスペックになってしまってもうこれから上はいけないと言うつまらない時代になったのでデジカメの進化に関する興味は全く私の場合失われた。それでもなかなか面白かったのは〇〇10年間と言うもの、当時創刊されたデジタルカメラマガジンの連載エッセイで馬鹿なことをいろいろ書いたことである。10年間の連載と言うのは1つのメディアの開発の方向とかダメになってゆく方向が時間の区切りとして明らかに見れると言うことなのでこれはありがたい。

しかしデジタルカメラマガジンもそのうち広告のタイアップがほとんどになったりメディアの本質からすればしょうがないのであるがつまらなくなってきた。私は気が弱いからそういう時につまらないからもう送ってこないで下さいとはなかなか言えない。50年間お世話になった日本カメラもアサヒカメラも同じであって、もう送らなくてと言えるものではない。

毎月20日を過ぎると私のストレスはあーまたカメラ雑誌が到着するなと言うことで実際にポストボックスからそれを持ってくるのは家人の仕事であったが高齢者には大変な労力である。掲載誌はゲラでチェックしているから送られてきた印刷物を開いてみると言う事は無い。断腸亭日常に同じことが書かれていて文豪の場合はもっと偏屈だから送られてきた印刷物は一切見ないのである。またゴミとして出してしまうのだから資源の無駄遣いと高齢者の筋肉の運動にはなるかもしれないが面倒なことである。

デジタルカメラマガジンを私が高く評価しているのは67年前から毎月送って来なくなったことだ。メディアとしてこれはとても良いことだと思う。

それで最近のデジタルカメラの進化に関しては全く興味がないけれどもこの間のギャラリーバウハウスのウィーンの個展などで見に来てくれた人の父上がキャノンかどっかの最新型のデジカメを買って鳥の目にピントが合うからそれが素晴らしいとか言っている。
日本のカメラメーカーと言うのはブラックユーモアにあふれていると思う。

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