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チョートクのカメラノート📷🎥📹

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2024年1月の記事一覧

このカメラを持って矢切の渡しを撮影したことが決め手だった

日本製の6 × 6センチの一眼レフカメラと言えばブロニカとかコーワが有名である。どちらも素晴らしいメカニズムのカメラであるが私のような変わり者になると高級なメカニズムよりもプリミティブなメカの方が好きと言うことになる。

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ライカと同じ出身地のロードマットにアインシュタインの生まれた町の135ミリレンズをつける1/30(火)

ドイツのフランクフルトから高速道路で1時間位の小さな街がライカのホームである。ライカファンには有名な街であるが実はこの街は他にも写真関係の製品を作るメーカーとか双眼鏡を作るメーカーなどがあった。そこで作られていたのがロードと言う名前の1連のレンジファインダカメラである。1950年代からかなりアメリカに輸出されたのである。アメリカ人は日本人と違って見栄を張らないからカメラは実用主義でよろしいと言う風潮があるところがブランド選びとしてははるかに日本より上だと思う。さすが戦争に勝利

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小村80ミリf1.8をルーペで使う理由1/29(月)

1980年代にニューヨークで写真を勉強していた頃に同じ時期にデビューしたアメリカの写真家が誠に当然ながら時間経過で40年たったらみんな後期高齢者になっていると言う痛快な真実がある。 ロバートフランクはスイスのチューリヒからアメリカにやってきて外国人として初めてのグッゲンハイムフェローシップをゲットしたのである。それで2年間にわたってアメリカ中を旅行して名作アメリカ人の写真集を出した。ニューヨークタイムスに掲載されていたフランクがまだ若かった頃に写真家が撮影したネガフィルムを

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小さな35ミリカメラミニオンのさらに小さなバインダーにしびれる。

10年近く前パリにライカの1番最初のモデルつまりレンジファインダーのついてないシンプルなカメラを持参してアサヒカメラのための撮影をした。その時痛感したのは逆ガリレオ式のシンプルなファインダーであっても構図を決定するのには何の問題もなくてむしろ使いやすいと言う印象を持ったことだ。

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メイドインオキュパイドジャパンの刻印はどこについているのか?

日本が敗戦してその後に作られてすべての興行生産物はメイドインオキュパイドジャパンの名称をつけることになった。ところがこれがなかなか屈辱的と言うのか何と言うのかわからないけどその刻印をなるべくわからないところにつけるというのが当時のトレンドであったのかどうか?

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ウォーカーエバンスの使っていたミランダカメラ

40年前にニューヨーク近代美術館の図書館で出会ったウォーカーエバンスアートワークと言う本が好きでよく読み返しているのであるがその1番最後のセクションに彼がなくなったときに残されていたカメラが羅列して記入されている。

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東京光学が戦後すぐに作ったすごい小さなカメラにびっくり

30年ぐらいクラシックカメラの話を書いたり最新型のデジタルカメラが面白くないと文句を言ったりして面白おかしく暮らしてきたのであるが持っているカメラは3000台と言うことになっていてそれで1000ページの本を出したこともある。

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9センチの焦点距離のレンズは写真の存在に踏み込むことができる

アンリカルティエブレッソンは撮影旅行に行く時に50ミリと90ミリと135ミリのレンズを持って出かけるのであるが135ミリのレンズが重いからと言うので2日目か3日目に旅先から小包で送り返してくるのだそうである。確かにこれはフットワークの良いブレッソンにしてみれば当然のことで大きく思い135ミリのレンズは使いたくないのはよくわかる。

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どう考えたら良いのかな?古いLeotaxのシャッターダイヤルの周りのリングを回転させるとフイルム巻き上げができる件

葛飾の柴又は寅さんの映画で有名であるが寅さんの映画などがつい最近作られたものだから新米である。レオタックスカメラは戦前から作られているライカタイプのカメラであるからこちらは寅さんの大先輩である。

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午後、Empire State Building光る

1983年のことだが、ニューヨーク近代美術館でアメリカの写真を研究していて、その影響で8 × 10インチのカメラでニューヨークをかなり撮影したのである。あるとき、それに飽きてきたと言うのではないが、キャナルストリートの蚤の市でパノラマカメラを発見したので、これで縦画面でマンハッタンをとってやろうと浅はかな思いつきをした。

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Elegaと言うカメラ

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ウィーンの自由橋のほとりに、ずらりと並んだかもめのみなさん

私が長く暮らしたプラハのモルダウ川はその本流が街の真ん中を貫いている。ブダペストもドナウ川が街の真ん中を流れている。それに対して何か偽物っぽい感じがするのは、ウィーンのドナウ川は街の中心部からかなり北東の場所を流れていて、ウィーンの中心部にあるのは、そこから水を引いた。ドナウ運河であることだ。自然の運河なのかと思ったけれど、うんがと言う位なのだから、人間が掘削したのであろう。

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ウィーンの路地の奥の青いブガッティ1/19(金)

50年以上前のウィーンの旧市街の路地裏には、歴史的な車が普通の感じで止まっていたが、それは50年以上前だから、当時はそういう車がクラシックカーであると言う認識もなかった。

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東京スカイツリーの隣にあったガラス屋さんは今でもここにある1/18(木)

東京の時間経過を50年以上の長さで観察していて、面白いと思うのは、すぐなくなってしまうであろうと予想している。風景が想像の外長いこと生存していたり、あるいはその逆で、これはすぐ失われていく風景ではなくて、ずっと留まっていると思っている風景が、案外すぐなくなってしまうという皮肉なポイントがあるのだ。

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