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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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2023年12月の記事一覧

ニューヨークから戻った直後に、ツバメのぴーちゃん12/31(日)都心は19年ぶりの雨

家人の母親の持っている古いアルバムは、母親が樺太生まれて結婚して後は満州に住んだりしていたので、昭和天皇が登場したりとか、歴史的なモチーフが登場する。

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ぐにゃりニコンのロゴが使える最後のニコン

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世界中には、マイナスの曲率を持った建築物があって、それが好きな私

2009年の9月の初めだったが、日本の暑い盛りにエジプトのカイロに行ったらもっと暑かった。カイロに行った。犯行の動機と言うのは誰かのエッセイを読んでいて、その人は地球上の街をずいぶん歩いているんだがカイロの下街が1番面白いと言うので、それに騙されて出かけたら嘘ではなくてほんとに面白かった。

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丸ビルの1階にあった金属板。ここから世界の各都市の方向がわかる。

日本の周りに世界の都市があると言うことを知ったのは既に取り壊されて何十年も経つ 丸ビルの1階の廊下の部分の金属のプレートであった。何十年も人に踏まれていたので良い具合にすり減ってリアル感が出ているのを見るのが好きだった。こういう人間の行動によってすり減った金属とか石と言うのはいい感じのものであって、その当時の国鉄の出札口と言うのもあれも人の手でゆっくり何十年もかけてすり減っていったものであると理解していたが本当はどうだったのかな?

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山梨県北杜市のFacebook友達のあっちゃんと言う人といろいろ話す

私のFacebookは3000以上のお友達がいる。しかし、お友達と言うのは好きな言葉で、その中で実際に会ったことのある人は100人ぐらいではないかと思う。しかし、同時に会ったことがなくても、Facebook上のやり取りで十分に友情を感じている人もいる。バーチャルリアリティーと言う Facebookバーチャルリアリティーは大切だね。

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エデンの園のりんごレプリカとバベルの塔の漆喰本物

1989年11月のプラハのビロード革命。その時私はプラハにいた。それから25年経過して、2014年の11月にビロード革命から四半世紀経過した一大フェスティバルがあった。

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石原悦郎さんが計画したつくば写真美術館のカタログの事

1985年につくば万博の時にその建物の内部ではなくて、その近くにオープンしたのが石原悦郎さんのつくば写真美術館であった。私も取材などでつくば万博は何度か行って不思議なことなのだが、腕章をもらって内閣記者団の一員として中曽根を追いかけていた。ところがあの人は別にカメラが好きだとは思わないけど、私がライカを構えていると、私のほうにどんどん歩いて接近してくるのだ。あれは不思議だった。

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クリスマスだけど、地味なイルミネーションに惹かれる、私

ウィーンと言うのはカソリックの中心地みたいなものであるから、クリスマスイブもまずまず静かだし、クリスマスになると誰も外は歩いていない。うろうろしているのは我々外国人無神論者のツーリストのみ。

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長徳アットワークを見返して12/24(日)

毎日新聞社から長徳アットワークが出たのは2001年だったと思うけれど、よくこんな売れない写真集を出してくれたものだと思う。そのしばらく前に高梨さんの写真集が出て、有名写真家の写真集が売れたであろうから、その後に、その編集者さんに、私の企画を話して、それで企画が通ってしまったと言うのは、勢いもあるかもしれないけれどこれは高梨先輩のおかげによるものなのである。

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カフェハヴェルカ ウィーンの古い喫茶店

このカフェのスタートが1947年であるから、私と同じ年代と言うわけだ。winには歴史的なカフェがたくさんあるけれど、その中では最も新しいものの1つである。大体winのカフェは100年は普通であって、200年以上、さらにもっと古いものもある。

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風景の遠近感の消失点が2つあるところが好き

8年間暮らしたウィーンで面白かったのは、時々出かける美術館であった。いくつか気に入った映画があって、それはフェルメールの名作とかそういうのではなく、私の知らないルネッサンスより後に描かれた絵描きの作品なのだが、その風景を見ていると、何か空間感覚がバラバラになるような気がして、それが不愉快ではなく、快楽に通じるようなのがある。

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雑司が谷の共食い看板は文化財である

私は文京区音羽の生まれであるが、そこから徒歩15分ぐらいで行ける雑司が谷に関しては、その全容が何十年もわからなかった。ラビリンスになっていると言うのは魅力であって、例えば、ポルトガルリスボンのAlfamaがそうなのであるが、その位置関係の全容をつかむには、ほぼ20年の時間がかかった。

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Fed Zorki 1948

ソ連製のライカコピーである。フェドカメラは1932年にライカが登場した。数年後に早くもそのデッドコピーが作られている。存在が知られている1番若い製造番号は260番台で、これはオーストリアウィーンのライカコレクションに収蔵されている。

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デジタルライカでのNoctulux50ミリ0.95を開放で撮影

昭和30年代に明るいレンズが大流行したときには、その時代背景が存在したのである。当時のフィルムの感度が非常に低くて、常用のフイルムは感度32と言うものであった。それで少し暗い場所になると写真撮影ができなかった。

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