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かつての西ドイツ、ミュンヘンのアーノルドリヒターと言う会社は、映画撮影機で世界的に有名であるが、ヨーロッパのカメラメーカーであるから、自分の会社のレンズと言うのは持っていない。
小松さんは国際的な写真家であって、世界中の人の暮らしを記録している。でも、それだけでは経費が大変だから、私がwinで暮らしていた50年前には、いわゆるフォトエージェントの仕事もなさっていた。
佃島からかかりつけの病院の聖路加に行くのに歩いていけば15分である。2年ほど前に足の具合が悪いので、その時は佃島から中央区が運営している。江戸バスと言うのに乗った。家ではこれを猫月と呼んでいるのは、猫の100円玉がテーマになっているのである。正しい発音は猫バスはねかバスというのである。
赤羽から板橋のほうにむけて、歩行するのはそんなに簡単なことではなく山あり谷ありであって、しかも道が不思議な方向に回り込んでいるので、中山道を目指して歩くにしても方向が分からなくなって出たとこ勝負になることがある。
アメリカのケープカナベラルロケット発射サイトで、1000ミリのレフレックスニッコールにニコンSPのモータードライブ付をつけてポーズしている。サイモンニコンさんである。
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このノートの使いにくいところは、画像をパノラマサイズの横画面でしか表示できないことだ。この画像はもともとは6 × 6センチのフルサイズで撮影されているのだが、まぁ書き込んでいく内容にはそれほど影響与えないから。
佃日記2003年月21日 火 アテネ 明け方に露台をうかがったら、ベタの曇りで月も見えず。朝になったら雲厚く、きたないアテネの空である。家人に電話。
メイドインオキュパイドジャパン時代のコニカの最初のモデルは発見すると手に入れるようにしている。最近も1台手に入れたのであるが、コニカの歴史を調べたら、コニカスタンダードと言うモデルがあって、これは国内の販売よりも1年早くすなわち、1947年にアメリカ軍とかPX関係で販売されたのだそうだ。敗戦から2年目だから凄いことだと思う。 それでコニカスタンダードで検索してみると、驚いたことにトップヒットがガラクタ屋さんのにだいめさんがかいたテキストなのである。これには尊敬しましたね。
ソニーがデジタルカメラに進出して、1番最初に出した一眼レフがα 100である。それまでのミノルタのノーハウをそのままもらってきて、カメラのネームをミノルタからαに変えただけのカメラである。
続編 佃日記 2003年 5月 15日 (木) 大雨。 私がパリに居た時には、東京では豪雨があったらしい。それは知らないので、今日の雨、隅田川の向こう岸の見えない雨は、いかにも東洋であるな、という脅威を感じる。 銀座。 クリエイトにてアサヒカメラの連載のライカl型で撮影したモノクロプリントを受け取る。
カメラやレンズを長年見ているのであるが、その細かい部分を見ていて、実際に何の用途のためにあるのかわからないと言う謎がいくつかあって、その謎は深まるばかりである。
写真家のリーフリードランダーは露出メーターを持ち歩かない。なぜ持ち歩かないのかと聞いたら、エクスポージャーのデータ等はフィルムを買うとその箱に印刷してあると言うのである。確かに昔のフイルムには箱の表面に露出計算表が付いていた。