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カステラは、本来ポルトガルあたりから来たものであろう。その名前もカスティリアあたりだと思うが、やはり文明的なものであるから、文明堂と言う老舗ができたりする。
あちこちで講演会をやったりトークショーをやって地球上を行ったり来たりしていた四半世紀前のことである。記憶しているのは確か関西の方だったと思うけど、あるいは間違えているかもしれない。 ソ連製のハッセルブラッドのコピーであるサリュートに求められてサインをしたのである。 35ミリカメラでフォーカルプレーンシャッターのカーテンに文字が入っていると言うので考えれば、戦前のライカのボールベアリングがが入ったのがある。このモデルは、シャッター幕にkのイニシャルが入っているのである。戦後
3週間位前から部屋のWi-Fiがおかしくなって、そのためにルーターを3個買って全部システム通りに設定すると、ネットワークができましたと表示があってその直後にインターネット接続していないと言う表示があって、手持ちの家人からお古で譲ってもらったiPhone SEでテザリングをしていた。 このiPhone SEに入っているSIMと言うのは、iPhone 5が出た時だから、おそらく14年位前のもので、iPhone 5は日本で1番最初にテザリングができるようになったので、手に入れたの
ポルトガルのリスボンに最初に行ったのは43年前だった。それに影響されてマカオに行きたくなった。当時リスボンで流行っていた。ミュージックグループにラジオマカオというのがあって、これがなかなかあちらでCDを買って気に入ったのでマカオに行きたくなったのである。
Summarex 85/1.5と言うレンズが、当時のライカの最も明るい85ミリレンズであった。それに対抗してカールツアイスも75ミリ1.5と言うレンズを出した。ここら辺は西側世界と東側世界の核兵器の開発競争のようなものであって、別にそれを実際に使うと言うわけではない。いや実際に使ったら大変なことになる。
最近の私は中古カメラ店に行かなくなった。銀座の中古カメラ市にも行かなくなった。理由は単純であって、住んでいるところが世界の中古カメラ市になってしまったからだ。
アメリカのスカイスクレーパーが建設中の戦前の写真に働いている人が鉄骨だけできた空中に腰をかけてランチを食べたりしている写真がよくあるね。あれは報道のためのヤラセだったのかもしれないがなかなかスリリングであって見ているのは面白い。それと今とは保安基準が違う。
皿うどんとちゃんぽんの違いがわからない 人間の記憶などは実にいい加減なものだと思う。画像の昔のファイルを見ていたら2009年の11月に長崎に行っているのだ。
50年以上前のウィーンの話である。あの頃は19世紀的なガストロノミーの習慣と言うものが残っていた。例えばバラの花束を持ってそれを1本ずつ販売して歩くと言う女の子の商売があって要するに飲み屋のカップルのお客さんはそこでバラの花を1本買って連れに愛情を送るわけである。
ザルツブルグの街と言うのは、私にとって大嫌いな街であって、できることならば、お付き合いのしたくない観光都市であった。それが仕方がないと言う感じで、1979年と1980年の夏それぞれ3週間ぐらいずつザルツブルグで暮らしたのである。
例えば南半球に行った事は1度しかないけれども光の方向が北半球と逆なのでそれが面白かった。
ロバートフランクは60年代初めにパリにお花の写真を撮るために出かけた。それは結構有名なシリーズになっている。男性が1本のバラの花を背後に隠して歩いて行く後ろ姿などと言うのはなかなかヨーロッパである。
1967年の11月の終わりに父親と新宿東口のラッキーカメラでライカM2のブラックペイントのボディーを買った。その値段は120,000円だったと思う。
ホーチミンの存在は、今でもベトナムのスーパースターである。すべての紙幣にはホーチミンの肖像が印刷されている。ベトナムの人々のお金の取り扱いが何か高尚な感じがすると前から思っていたのであるが、その理由はベトナムにはコインを始めとする通貨が存在しないと言うことに気がついた。