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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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2023年2月の記事一覧

非常にレアなハッセルブラッドのハサミ

かなり上質なハサミである。ハサミと言えばドイツのゾーリンゲンかと思うがそうではない。これは英国製のハサミなのだ。ハサミの刃の脇に水平な暴動が付いていて、そこでクリップで何か挟めるような仕掛けがしてある。白っぽいプラスチックのプレートが片側がフリーになって固定されていて、よく見るとそこにハッセルブラッドのロゴが見える。この変なハサミは一体なんだろう?

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世界で1番最初の進化した一眼レフはソ連製だった

ソ連製カメラと言うと、西側のカメラのコピーであるとばかり思われているが、そうでないカメラも存在したのである。1930年代研究が始まったカメラで35ミリ一眼レフであって上のようなスタイルをしている。金属製のフォーカルプレーンが付いていて、レンズは我々の好きなテッサーコピーである。

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☻プラハのアトリエに暮らした、34年

プラハのアトリエに暮らしたのは1980年から2千14年ごろまでだったと思う。つまり考えてみると、ビロード革命の真っ只中あの熱い11月にも私はこのアトリエからヴァーツラフ広場に通ってデモを撮影していたりしたわけだ。

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例のユニバーサルファインダーのピカピカに磨いたやつ

ソ連製のユニバーサルファインダーである。これはドイツの完全なコピー商品なのである。もっとも赤軍がドイツ帝国を占領してその技術を勝手に持っていったと言う特権があるから文句は言えない。。

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オートフォーカスレンズの化石のようなもの

佃島のカメラ、ジャングルの中から発掘されたごく初期のというか、1番最初のキャノンefでレンズのオートフォーカスカメラである。すでに30年ぐらい前のものだと思うが、今これを見てみると別に時代遅れと言う感じではなくて、何やら非常に新鮮な感覚がよみがえるのはなぜであろうか?

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モノクロ写真のススメ

42 投稿 2022年度版あなたの生きがいを作るためのモノクロ写真のススメ38 tanakachotoku 2022年8月3日 13:52 最近の富士フイルムはフイルムは全くビジネスの外側になってしまってこれは富士フイルムと言う会社名はまだ存在しているけれども、健康食品とかそっちのほうに向かっているからいっそのこと会社の名前を変えるとしたらフジヘルスとかフジフーズのほうがすっきりするのかと思う。 20世紀の1番終わりの時代に富士フイルムがモノクロ写真のプロセスに

2005年の下神明の駅のことが書いてある

田中長徳ボス著 デジカメ風雲帖 第45巻 エプソンR-D1で東京城南の「迷宮」に潜行する。 (デジタルカメラ・マガジン 2005.12月号 206-207ページ) 新幹線が多摩川を渡るちょっと前に、東京から行くと、左手にまるでシンプルさを絵に描いたような、小さな駅上を新幹線は斜めに交差して通過する。 私は以前からその駅に立って、いま、自分が現にそこを通過しているこの新幹線を眺めて、ホームの上から新幹線を写真に撮影したいと思っていた。 つまり彼我の位相を逆転させて見

プラハのアトリエのバルセロナチェア

プラハのアトリエにはトータルで34年間、そこにいたわけであるが忘れられないのは、バルセロナチェアーが2つあったことだ。1929年のバルセロナエキスポの時にバウハウスの関係者であったミール・ファン・デル・ローエが設計してバルセロナエキスポのドイツのパビリオンに、スペインの王族を迎えるための玉座として作られた。

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AutoTerraトップカバーのデザインがすばらしい

寺岡製作所と言うのは、有名なはかりのメーカーであるが、1950年代後半には、このようなスプリング巻き上げ式のユニークなカメラを作っていた。知り合いの野々宮が仕事の関係で寺岡製作所に行って、その話をしたら、会社の人は誰も昔は自分の会社がカメラメーカーであると言う事は知らなかったそうである。50年以上経過しているのであるからまず当然の話であろう。

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ニコンカメラのすべての商品撮影の思い出

1970年代の一眼レフと言うものは、システムカメラとしての充実の度合いがそのカメラの価値を決めると言うような考え方が主流だった。足にマクロからミクロまでなどと言われるように膨大な交換レンズとアクセサリーを従えているのが強い一眼レフと言う認識があったのだ。

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昭和40年代の小村レンズのカタログを九州のBonさんが送ってくれた

小村レンズと言うのは、若い頃は非常に大切なものであって、最初に買った1番最初のモデルのアサヒペンタックスに付けたレンズは小村の135ミリF2点8であった。このレンズは非常に愛用して、その後ニコンエフマウントに直してもらって、さらに高校時代に愛用したのである。

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現代詩人と現代写真家

谷川俊太郎さんが若い頃に撮影したリコーフレックスのネガフィルムが発見されて、それがギャラリーバウハウスでロングランで開催される。3月1日から5月までやっているらしい。 このiPad Proは変なやつで、日本語変換がおかしい。すなわち現代詩人と音声入力すると、このように出るのだが、現在を抜いて入力すると4人となってしまう。日本語変換がトリスタン・ツァラみたいな進んだ天才であることがわかる。 4人と言うと麻雀をやってそうな感じだね。それでここでは面倒なので、現代4人ではなくて現

友人から勧められて、またYouTubeを始めて考えたこと

記録によると、私がYouTubeを始めたのは2009年の7月だそうである。YouTubeにその記録が残っている。そのままずっとこのノートのほうに力を入れていたのである。それが2ヶ月ほど前に友人が勧めてくれたので、またスタートをした。そういう時私は真面目にやってしまうので、とりあえずの最初のクリアランスというのがチャンネル登録が1000人そして過去1年間の再生時間が4000時間以上になるとパートナーシップと言う会員になれるのだそうである。 それで一生懸命やってやたらたくさんの

気にいっていたベネチアングラスのデミカップが割れた

1973年頃にウィーンで暮らしだした頃の話だが、ウィーンの中心部から西に行ったところに業者さんが仕入れに来るアンティークの店があった。要するにwinの市民の誰かが昇天すると、その家財道具一式が火曜日にここに運び込まれるのである。

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