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Akeleyカメラが100年以上前に作られたハンドクランク式の35ミリ映画撮影機である。エスキモーイヌイットを記録した世界で、最初のドキュメンタリーフィルムもこのカメラで撮影された。
リスボンを訪問したのは42年前であるから半世紀と言うわけではないが、それでもかなり長い時間である。最後に行ったのはすでに7年前だけど、行きつけの中古カメラ屋さんがもうないのでこんなところでもういいかなとも考えている。
オンラインマガジン 田中長徳のカメラノートは1919年11月からスタートして、 今日までに3996本のエッセイを掲載しました。 今年もいろいろありがとうございました。 ワクワクするカメラと写真の冒険話を1ヵ月1000円で提供しています。 頼りになるのは、あなただけ!
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戦前の昭和15年にできたカメラである。最初から間宮シックスがすごいのはバックフォーカシングと言うレンズを固定しておいて、フィルム面を動かすと言う画期的な方法でピントを安定させた店である。当時の高級カメラの蛇腹の66番と言えば、カールツアイスのスーパーシックスがあったが、これは撮影レンズを動かすのである。さらに蛇腹であるから、どうしても正しいピント面を設定するのに安定からはちょっとマイナスになると言うところもある。
ソ連製カメラの標準レンズには2種類ある。1つはゾナーをコピーしたジュピター。もう一つはテッサをコピーした。このレンズであるその他に3番目のレンズとしてはゾナー5センチ1.5をコピーしたジュピターさ3と言うレンズもある。これも使っていたことがあるが生産数は多くない。
1番最初のニコンレンジファインダカメラニコン1であるが、ライフの写真で契約していたMiki Junがブラック仕上げにしてくれと言うので、ニコンはやっつけ仕事でクロムの上にブラックペイントをしたのがあって、それが展示されていたが、なかなかかっこよかった。
我楽多屋さん主催の28日の恒例の忘年会は、今年は写真のような隅田川べりでやることになった。シドニーのトークが数年間お休みなので、今回はフィールドワークでこの数年間の写真とカメラの状況を話すつもり。 最初は参加予定者がソロキャンの人ばかりで炊き出ししようと言う事だったらしいが、にだいめさんが事前に立て看板禁止事項をチェックしてきたので、それはやめて、飲み物を持ちながら私の馬鹿話を聞くスタイルになった。 それでにだいめさんがiPhoneのパノラマモードで撮影した忘年会会場のパ
昭和40年代のテレビ番組の少年活劇者の中で悪の枢軸の悪い博士の研究所のカバーというのがまさに当てはまる。
自分が出したカメラ関係の本であるが腰巻がついているやつを見るとそこで文章を書いてくれたのが赤瀬川さんであるのが懐かしい。
2005年のクリスマスイブのことだと思う。エプソンアールディーワンの写真集の撮影で12月にウィーンとプラハとユネスコの文化遺産のTelchに撮影に行った。ウィーンではシュテファン大聖堂のすぐ下のペンションに宿泊した。いつものことであるがウィーンのライカショップのオペレーターのところに行ったらそれがクリスマスイブの昼まであって、ペーターが言うには夕方ちょっと写真を撮りに来てくれないかな?というのである。
ペンタックス、リコーの新しいフイルム、カメラ宣言がオンラインであっちこっちで話題沸騰である。 ペンタックスの一眼レフで200,000円位でデザインがよければ欲しいと言う声も聞こえてくる。 それでこのプロジェクトの成功かどうかは別問題として、私はこんなカメラが欲しいと言うのを箇条書きにしてみた。 1 オートフォーカスにしてはいけない。ペンタックスのオートフォーカス一眼レフは産業廃棄物であって、中古でも値段がつかない。 2 Automaticな露出のコントロールにしてはい
1970年代ヨーロッパの高速道路を走っていると小柄なフィアットが私のフォルクスワーゲンを追い越して行く。それでリアのスタイルを見ることになるのだが、フィアットのアバルト改造モデルだとリアのカバーが閉められないので中途半端に開いた状態で固定している。