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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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2022年7月の記事一覧

タワーマンションから出るところをいつも見ている風景なのにそこに日本のわびさびを感じている不思議7/31(日)

大学1年生の夏の頃に初めて佃島に来たのである。その時の撮影したショットは最近出した私の写真集Today Tokyoにも掲載されていて写真集の1番最後に出ている佃島のお祭りのショットで手前に佃小橋が見えてその先に住吉様の上りがはためいているのがある。これが1966年の佃の夏祭りを撮影したショットなのだ。

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ティファールのスイッチが壊れたんだ。それでヨドバシから新しいのを買ったんだけどいろいろ考えてしまう7/30(土)

日常的にお湯を飲んでいるからティファールをずっと使っている。それが6、7年前に壊れたので新しいのを買った。それがまた壊れたのでヨドバシカメラに夕方に注文したら翌日の午前11時35分に到着すると言うメールが入った。私は几帳面だからその時間に待っていたらその1分前に到着したのである。

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Miranda よりMirax 7/29(金)

最初にミランダカメラを手に入れたのは1970年頃のことであって大塚駅の近くにある中古カメラ屋さんに入ったらそこにMiranda Tがあった。当時のお金で8000円位したから初任給35,000円の私には大変な出費であった。そのカメラを持って当時川崎に村田くんと言う人がいたのでそこの家に遊びに行ったりしてその先のセメント通りと言うところに焼肉屋さんがあったのでそこに行ったりした。川崎と言うと今では関東カメラサービスがあるが駅からそこまで歩いてさらにバスストップで3つ位先にあるのが

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間宮フレックスJrと言う2眼レフの存在感が好き7/28(木)

カメラのクラスの選び方と言うのは人によって面白い。2眼レフカメラもそうであって何が何でもローライフレックスの最高級モデルで明るいカールツアイスレンズがついていないとダメと言う人もいる。

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1935年当時のライカ用フィルムの値段7/27(水)

戦前のライカのカタログを結構大変な量を処理しているのであるがこれは30年ほど前に私が日本カメラ左から1番最初に出したカメラ本を読んでくださった兵庫県のお医者様が自分はもう使わないからと言うのでまとめて送ってくださったのである。そのお医者様は若い頃に礼香買おうと一念発起してありとあらゆるカタログを集めて結局は買わないでライカオーナーにはならなかった。大体戦前にライカを買うと言う事自身が今の私みたいに暇だからライカでも買うかみたいな感じではなく当時はちゃんとした資産家でないと買え

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カメラジャングルから半世紀ぶりに発見されたレンズマウントアダプター7/26(火)

1969年頃だったと思うが、東横線の日吉駅の南側にもう閉店すると言うカメラ屋さんがあって友達と一緒にジャンクを漁りに行ったのである。私は日大写真学科の出身であるが日吉にあった写真学校にも興味を示していた。でも通学の関係で遠くなので結局日吉の写真学校に行くのはやめた。当時の教授陣で考えれば日大写真学科などよりもはるかに優れた教授陣のメンバーがいたのにね。

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カメラノート号外。夢の話は書かないことにしているがこれは例外。出雲通信第6号の床屋さんに東松照明さんが登場した夢

出雲通信第6号の表紙がTambaと言う古い床屋さんで、説明によればのみかわさんはおうちの近くだけどここには行ったことがないそうだ。私の方では私の生まれたところに関係のある千葉県銚子市の町外れにTanbo食堂というのがあってそれを銚子市に行った時は撮影に行くので、一文字違いではあるが出雲の床屋さんの屋号に近親感覚を感じていた。 それでこの床屋さんのファサードが今朝の夢に出たのである。そのエントランスに東松さんがカメラを持って立っていて、私は東松さんを撮影中なのである。夢の中の

田中光学の新しいバイオネットマウントのプラスとマイナス7/25(月)

姓名判断に詳しい家人の話によると田中と言うのはとんでもないそんな苗字であって絶対結婚したくない相手の苗字というのが田中だったそうであるがこんなことになってしまった。それで昨年で50年の金婚式と言うわけである。私の先祖は千葉県銚子で醤油製造業をやっていた田中と言う家なのであって私が26代目と言うことになっているが、もともとは紀州の方から出てきた人で最初は別の苗字であったそうだそれがどういう理由か知らないが田中と言うしょうもない名前を受け継いでしまったと何かで調べたら出てきた。

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東京を自転車で走り回って1日100キロ走らないと眠れないと言う日々があったわ7/24(日)

秋沢さんと言う人は私の古文書のアーカイブの専門係みたいな感じの人でいろいろな昔の私の古いスクラップをどこかからか探してFacebookにアップしてくれるので非常にありがたい。それに情けないことだがそれらの記事を私は掲載された事実そのものすら既に忘れているのである。こういうのが後期高齢者のメリットだな。

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ライカの赤いフォーカルプレーンシャッターと茶谷シャッター7/23(土)

ライカのコレクターが馬鹿高いお金を払うコレクターズアイテムと言うものがある。つい最近ではウィーンのライカショップのオークションでオスカーバルナックが使っていたライカが20億円近くで落札されてライカすずめの話題になった。今までのライカオークションでのレコード杯は確か1億円位だったと思うから大変な出世である。しかしこれがまたインベストメントの対象となってしまったような感じなのでそこら辺は情けない。フィルムカメラは時代遅れのカメラだけどもその時代遅れを受け入れて高いフィルムを入れて

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佃日記アーカイブ2011年5月30日 7/22(金)

佃日記アーカイブ2011年5月30日 帰国したら、ヤフオクで落札した「ホールドグリップ」が到着していた。 M型用とバルバックタイプの二種類。これを装着してみるになかなか具合が良い。

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佃日記アーカイブ2千11年5月31日

本日、木村伊兵衛先生のご命日。 ならびにあたしの誕生日。64歳。 プラハの2週間の間に一度だけカメラ店に行った。 その理由は上のビオター75mm !1,5のフィルターとフードを探しにいったのである。プ ラハはクラシックな東欧カメラをみつけるには恰好の場所だけど、実用の中古というのは 案外に発見は困難である。 アトリエでまずフィルター径を計ったら、55mmと出た。これがちょっと意外な感じが したのである。1940年代のツアイスはまず40,5ミリが普通であるから55mmという の

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Kallo Wideを使い分けてみるつまらないレポート

1950年代終わりにあのコルゲンコーワのカエルのケロちゃんのメーカーが作ったレンズシャッター式のワイドカメラがこのカメラである。東京オリンピック直前の変わりゆく東京を撮影してそれを素晴らしい仕事にまとめた春日さんと言う尊敬する写真家がいるのであるが、彼の愛用しているカメラがこれだったので私も影響受けて25年位前からこのカメラを使うようになった。最も影響を受けてそれ以前から使っていたことを今思い出して私の700ページほどの文庫版の写真集東京ニコン日記の中に1970年頃トヨタ自動

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トプコン通りの散歩道に似合うカメラ

板橋の蓮沼あたりにあるトプコンの会社である。会社は17号線から結構奥に入ったところにあるが道が迷路のようになっていてなかなか気に入った通りである。通と言うより路地裏ですね。以前に東京カメラクラブの集まりでトプコンの本社の前で全員記念撮影をしてそれから会社のうらのあたりを巡った。細い道であって車の通りはあまりないが以前そこを利用して週末に蚤の市をやったら良いのではないかと言うことを何かの拍子であった坂崎幸之助さんに話したことがある。

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