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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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2021年12月の記事一覧

使い続けて15年のおおつごもり12/31(金)今年もお世話になりました

エプソンのこのカメラをこんなに長く使い続けることになるとは思わなかった。月刊フォトコンテストでお世話になった杉浦さんと言う人がいて、その人の依頼で日本の写真家論を5年間連載したのである。それは後で本になった。非常に真面目な本なので売れないかと思ったらこれが1 GB売れた。最近超有名な名前を忘れた女流写真家が、お父さんは有名な演出家で数年前に亡くなったのであるがその彼女がまだ若かった頃の話も載っている本である。日本の写真家54とか言うタイトルだった。それに+私のことを別の人が書

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渋いお茶が欲しくなる虎屋の羊羹みたいなカメラ12/30(木)

日大写真学科に在学していた頃に、私はライカM2のブラックペイントを使って得意になっていたのだがその端をへし折るような存在がこのカメラだった。日大写真学科は1つのクラスが50人ぐらいでそれが7クラスがあったのである。自慢でも何でもないが正規の試験で何十倍の競争率で入学したのがBクラスであって他にAクラスからFクラスまで存在したから全部で6クラス300人ぐらいの学生がいたわけだ。

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1975年12月19日オーストリアウィーンの大雪の日の路面電車の終点12/29(水)

オーストリアのウィーンと言うところは冬にはあまり雪が降らない。雪が降るから寒いと言うのは素人考えであって本当に寒い街では雪などは降らなくてどんどん冷えていくのである。伝説では1945年にオーストリアがアメリカフランスソ連に占領されていた時に私が長く住んでいたドナウ運河の東側はソ連の占領地域であった。そこら辺の話であるが映画第3の男によく出てくるので何やら懐かしい。何しろオーストリアが永世中立国の宣言をしてそれが1955年であるから私が行ったのはたったその18年後なのである。ド

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世田谷区にある給水塔が良い感じ12/28(火)

Facebookの友人がアップしている円形のコンクリートの建築物を見てびっくりしたのである。ご覧の写真のようにこれは円形の建築物のトップの所の構造なのであるがこれだけ見ると絶対に日本のものとは思えない。それで友人に外国の建物ですかと聞いたらこれが世田谷区にある給水塔で1925年頃にできたものと聞いて非常にびっくりした。いやびっくりしたのではなくて当時の建築がそのまま外国から輸入されたデザインを登用したと言うことなのであろう。

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チベットの冒険ならこれが絶対12/27(月)

20年ほど前の話だけどいきなりチベットのラサに行きたくなった。今もそうだと思うけれどもチベットはなかなか行きにくいところでパッケージツアーならいいだろうと思って5月の連休明けだったら空いているであろうと考えたから大手の旅行会社に申し込んだら旅行そのものがキャンセルになったと言ってきた。要するに5月の連休明け何かにわざわざチベットに行く人はいないのである。

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1983年ニューヨークで撮影したたて画面のパノラマ写真12/26(日)

ニューヨークに暮らしたのは1982年の11月から1年間である。短い時期であったが貴重な体験であった。住んでいたのはウスターストリートと言ってSohoのNorth Endである。毎週土曜日と日曜日にSOHOから20分ほど南に歩いたところのキャナルストリートのパーキングロットで蚤の市が開催されていた。

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タイムライフが全盛だった頃のコンタックス用の迅速巻き上げ装置12/25(土)

確か1969年のことだったと思う。友達に連れられて日吉駅前で閉店するカメラ店があってガラクタを売っていると言うので出かけたのである。お店の名前が忘れられないのは

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最高のクリスマスプレゼント。四半世紀前の写真集のオリジナル原稿がカメラジャングルで発見される12/24メリークリスマス!

来週の月曜日にタワーマンションのエアコン関係の交換の大工事あり。バルコニーに作業の人が出るのでその通路を確保するためにカメラジャングルを発掘していたら、四半世紀前に日本カメラ社から出した「Wienとライカの日々」のオリジナル原稿が発掘された。

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ローライマリンが最高のオブジェである事は間違いなし12/23(木)

1980年に東京に戻ってきて高輪の松坂屋カメラで最初に買ったヘンテコリンな品物がこれであった。ローライマリンは明るさが3.5のローライフレックス専用である。水中で外部からいろいろな動作をコントロールできる。

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12年前のオリンパスペンデジタルが好きな理由12/22(水)

ノートスペシャルで新製品のデジタルカメラをあまり登場させないのは理由がある。一言で言えば

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時計の精密工作は1000分の3ミリの誤差でもう使い物にならないらしい12/21(火)

正岡子規の当時の日記などを読んでいて面白いのは病床の正岡子規はいろいろな人に会って話を聞きたいからぜひ来てほしいと書いているのである。特に聞きたい話は専門家の技術的な話がわかるように話せてもらえばありがたいなどと付け加えている。当時はインターネットがなかったからそういうことになるわけでかわいそうであるが最近はインターネットのおかげでそれぞれの専門家の技術の裏話などがわかると言うのは本当にありがたいことだと思う。

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ダイキャスト製のモダンなライカ。製造番号が224747 12/20(月)

製造番号が224747と言う1936年生のライカである。製造番号表を見るとこれは200台だけ作られたライカ1型である。200台と言うのは何か特殊なリクエストで作られたのであろう。製造番号表を細かく見るとかなり最後に作られた距離計のついてないライカと言うことになる。

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地下鉄神楽坂駅前の地下の階段が2本ある喫茶店に40年ぶりに行ってハムサンド12/19(日)

Chotokuブラパチワークショップも4年目に入った。今まで東京のいろいろなところに行ったが冷静に査定撮影に行くのに手薄なところはどこだろうと考えて、神楽坂には10年位前に行ったきりであったことを思い出した。その前に神楽坂に行ったのは20年前のことであって、雑誌東京人の特集で片岡義男さんと坂崎幸之助さん、そして東儀秀樹さんを誘って神楽坂を撮影したのである。東儀さんは入院してしまって欠席となったのは残念だった。

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ウィーンとパリを結ぶ夜行列車が14年ぶりに再会12/18(土) ギャラリーバウハウストークの日

1970年代にウィーンに住んでいた時にパリに行くと言うのは必ずウィーンの西駅からこの夜行列車に乗った。家人と初めてパリに行った1975年もこの列車で行った。ウィーンで言えばパリ東駅はPariser Ost Bahnhofなのであるがパリに到着したら駅の案内は単純にパリエスと聞こえるのである。その夜行列車が12月13日からまたスタートしたのである。なんでも14年ぶりの再会だっそうで、フランスのマクロンが考えたら私がたまにはいいことやるじゃん。

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