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ローライフレックスは使いやすい。ローライマジックの2型は3台持っているのであるがその3代目は数年前に買ったのである。間違えた訂正すると1台持っていたのだが同じ持ち主の人から二台追加で買ったのである。当時はこのようなカメラは人気がなくて二台で40,000円を切っていた。それにおまけとしてたくさんのフィルムがついてきた。
私が人生で1番最初に自分の写真をカメラ雑誌に掲載したのは1966年の12月号の月刊フォトコンテストであった。あの時は嬉しかったな。だから私が最初に使ったズームレンズはタムロン200ミリから400ミリなのである。そのレンズは今でも所有している。このレンズを手に入れる時ニッコールオート200ミリにするかこのレンズにするか迷ったのである。ニッコール200はタムロン200 400よりも高かった。
最近面白いのが1950年代後半のいわゆるマイナーブランドの一眼レフのブラックペイントと言う名の人気が上昇していることだ。その典型的なのがペトリカメラが出していたペトリペンタのごく初期のモデルにわずかながらブラックペイント仕上げがあるので、私も興味本位でネットオークションで入札したらとんでもない値段になったので諦めた。
若い頃は250枚撮影できるライカレポーターを買うのが夢であった。これはとんでもなく高いライカなのである。アメリカからそれをようやく手に入れた時は非常に嬉しかったがその直後にデジタルカメラが実用化して1度に250枚撮影できるなどというのは誰も驚かなくなってしまった。適当な大きさのメモリーを入れれば5000枚でも10,000枚でも自由自在に取れるのである。
ローライフレックスはアクセサリーが充実しているから目の高さで撮影するプリズムファインダーもある。なかなか人気のアクセサリーであるが、このことを紹介するとよくプリズムをつけると重くはないですかと言う質問が来るのだ。
日本最初の足尾銅山の公害事件の時に明治天皇に直訴したので有名な田中正造であるが生まれが佐野であることに最近気がついたのである。直訴したときの文と言うのは幸徳秋水が書いたものに田中が手を入れたものだと言う。幸徳秋水と言えば斉藤緑雨のスポンサーでもあったからあの時代の人間関係が立体的に浮き上がってきて興味津々である。
ノートと言うやつは画像の扱いがヘンテコリンで横でないと意味が通じないような変なレイアウトになっているがこの場合はわざと画面を横にした方がリアリティーがあってよろしい。中銀カプセルタワーに数年間住んでいたのではなくて仕事をしていたのである。
日大写真学科の1年後輩で川崎の村田くんと言う人がいた。ご実家は川崎の関東カメラサービスのすぐ近くであってその当時といっても半世紀以上前であるが写真屋さんであった。当時はこれからカラーの時代になると言うので自宅に大きな看板が付いていてその看板は
ネットオークションでヤシカカメラの一眼レフを二台買ったのである。二台で500円であった。一応ちゃんと動いているカメラである。九州の大分から売り手の人が送料が560円と言うので何か不思議な感じがした。以前からアメリカとかヨーロッパ方面から重いカメラばかり買っていたので日本国内とは言え大分から二台のカメラボディーが560円の送料で、到着するというのが実感として理解できなかった。
ヤシカカメラと言うと最初は2眼レフからスタートして売れに売れたカメラメーカーである。その後一般向きの絞り優先のヤシカエレクトロ35を出してこれがまた大ブームになった。もう一つは1970年に潰れかけたカールツアイスに頼まれて出したコンタックスRTSである。レンズは富岡が作っていてこれがまた人気になった。今では信州中野でカールツアイスが作っている。それで面白いのはコシナの小林さんにベッサアールのプロモーションの手伝いで最初にお目にかかったとき私は彼の前でいきなり預言者の感覚が私に
傍流写真主義笑の投稿が面白いのである。この写真等は落としたコンタクトレンズを探す?と言う読みも可能だ。あるいは60年代に原子爆弾に対抗して市民の抗議運動として実践されていた死んだふり、をやっているようにも見える。 Facebookへの私の書き込みは以下のようなものだ。
iPhoneができてまだ10年位か。iPhoneは3型から使っていて5型を使って6型を使って、最近家人がアンドロイドに乗り換えたのでiPhone SEを譲ってもらってその写真がこれである。10年以上前にオリンパスの手伝いをやってオリンパスの諏訪工場に行った時に電車の中にiPhone3を忘れてきた。中央線の終点の駅がなんというところか知らないがそこに問い合わせたら、どのような特徴のあるiPhoneですかと言うので朝日新聞のシールが貼ってありますと言ったらすぐ特定できて着払いで佃
10年前から私は東京ラーメンドキュメンタリーと言う運動をやっていた。私はいわゆるラーメンの腕自慢というのが大嫌いで、例えばラーメン二郎に入ってよどみなく増増何とかとオーダーをできることを自慢にしている連中とか何時間列に並んだとか言うことを自慢する連中とは話をしたくない。ラーメンと言うのはスナップ写真の呼吸と同じものであってラーメンを食べるのに身構えてはいけない。佐野のラーメンが有名と言うのでいちど体験してやろうと思って佐野駅の出た左側にラーメンミニミュージアムというのがあると
佐野の駅前の割烹のたぬきの女将さんは後期高齢者にもかかわらずいきなりiPadを取り出したりする達人である。女将さんの案内で佐野市の名所を案内していただいて田中正造の貴重な展示を見せていただいたりした。郷土博物館のエントランスに偉大な人田中さんと普通の老人の田中さんがツーショットと言うのを、たぬきの女将さんがいきなりiPadを取り出して撮影してくれたのである。