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チョートクのカメラノート📷🎥📹

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2020年7月の記事一覧

カラーなのにモノクロ🐭7/31🐭

アサヒカメラが休みになったので同時代のもう一つの重要なカメラ雑誌であったカメラ毎日のことを思い出していた。なぜそんなことを思い出したのかと言うとデジタルカメラでちゃんとカラーで撮っているのにモノクロみたいに写っている写真が存在すると言う厳粛な事実である。デジタルカメラは非常に進化しているはずであるが時と場合と光の具合によってそれが逆光であったりするとモノクロモードに勝手に変換されてしまったのではないかと思うようなドラマチックな変貌を遂げることがある。

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とちげき隊長ありがとう。話題のノクト2 = 58ミリf0.95 を見学に行ったらニコン公式マスク自衛団に捕まり窒息しそうになった!🐭7/30🐭

1部関係者の間で問題になっているニッコールの58ミリ明るさが0.9号のレンズのことである。ニコンフォトプラザに展示してあると言うので、肉のハナマサに買い出しに行く前に見学に行った。コロナ対策は日本を代表する企業であるから非常にちゃんとしていてサービスセンターの中には入れる人間の数が決まっているらしい。

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東華菜館 コロコロウィルスにもまけずオープン🐭7/29🐭

東華菜館は私の好きなレストランだがまた営業を再開したようである。とにかく私がこのレストランに行く理由と言うのは日本で何番目かに古いしかも何台かしか残っていないオーチスのエレベーターに乗るために行くのである。それで3階あたりまで運んでもらってそのまま下りのエレベーターで降りてきても構わないのであるがそうしては店に迷惑がかかることになる。それでエレベーターで上下する間の時間、つまり建物内に滞在している間に何か食べたり飲んだりすると言うことになる。

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進駐軍兵士が撮影した戦後の東京🐭7/28🐭

ネットオークションで手に入れた写真なのである。同じショットはないがなかなか丁寧に撮影されていて同一人物の撮影によるものである事はほぼ間違いがない。1つのグループが16枚でそれが4つあった。それぞれ封筒に外国人の文字で走り書きがしてあった。内容はストリートシーンとか路上の子供たちとか言うような大して意味のないものではあるのだがそれが本人による記入であるのかどうかもわからない。

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あたしはマスクはつけない🐭7/27🐭

2009年頃の感染症でヨーロッパを撮影していたとき空港などで奇妙に思うのは人民解放軍の皆さんがあちらから歩いてきて全員がマスクをしているのである。これが中国人のツーリストの皆さんであった。今は日本とヨーロッパは鎖国になってしまったからくわ事はわからないが、ヨーロッパではマスクをつけることを義務としているところもあるらしい。

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Kralik🐭7/26🐭

この前ブラパチワークショップのロケハンでおかず横丁から蔵前を歩いた時に発見した美容室の名前がこれなのである。非常にびっくりしたのは私の古いwinの友達にこういう名字の人がいるからだ。その美容室の名刺をもらってきて家人に見せて2人で感心していたのである。その話をFacebookに書いたらチェコの友人から指摘があって彼は以前チェコ大使館の文化担当の人であったから非常に信頼がおけるのであるが、Krarikと言うのはチェコ語でウサギと言う意味なのだそうだ。

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少年の頃東京も進駐軍の兵士で溢れていた。彼らは皆安いカメラをぶら下げていた。一体彼らがどのような写真を撮っていたのかが明らかになったのである🐭7/25🐭

銀座の街はアメリカの兵士でいっぱいであった。最近のアメリカ軍は私服で東京の街を歩くように指導されている様だが1950年代から60年代はそうではなかった。だからいかにもアメリカに占領されていると言う感じがしたのである。私が昔から興味を持っているのは彼らがぶら下げているカメラで一体どのような写真が撮られたのかと言うことだった。

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第二次大戦直後の日本製の2眼レフカメラがすごい。戦前にはミノルタフレックスオートマットもあった。これは修理して今でも使っている。戦争直後の1番凄いのは間宮フレックスautomaticである。当時の世界のトップだったローライフレックス版の場合はフルオートマチックのフィルムローディングであるが日本のフィルムのローラーの間にフィルムを通さなければならない。フィルムの1番最初の厚みの違いをそのローラーが検知して自動ストップさせるのである。🐭7/24🐭

第二次大戦直後のこのカメラの凄いところはローライのように日本のフィルムローラーの間を通さなくても120フィルムの最初の場所をカメラがちゃんと検知してそこでストップさせることにあった。国産のたくさんあるTLRの中でフルオートマチックのフイルム装填を達成したのはまさにこのカメラのシリーズだけなのである。しかも間宮はしばらく経ってからこの方式はやめてしまって普通のセミオートマチック方式つまりスタートマークに合わせて後は増えるもの最初で自動的に巻き度目になると言う方式になってしまった

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混線🐭7/23🐭

東京の電柱が醜いからそれをなくして街をすっきりと言う運動に対しては私は大反対である。マンハッタンに住んでいた時に時々私はメトロに乗ってブルックリンのわりと上の方まで出かけていった。その理由と言うのは単純であって林立する電信柱に大都会のリズムを感じるからである。

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クラッシックなライカのレンズのコンテナをSDメモリ入れに使う🐭  7/22🐭

戦前のライカの基本カラーはレッドであった。それで統一されていたから当時のライカの箱も非常にきれいである。高いライカを買ってもらったから何か会社もサービスしようと言うので四角いパーテーションが別料金で売られていてそれを入れるとライカの箱がフィルムケースになるのがあった。ライカの箱で12本位のフィルムを格納できる。要するに当時のライカフィルムと言うのはネガケースに切り離して入れるのではなくストリップで扱うのが一般的であったことがこれを見てもわかる。長巻のフイルムをそのままFoco

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ライカの高いレンズのノクティルックスf0.95で撮ったらハイキーになった件🐭7/21🐭

現在手に入る一般用のレンズで最も高価なのが野口ルックス50ミリf0.95である。私は昔の人間だからキャノンレンズのf0.95とかニッコールSマウントのf1.1とかは使ったことがある。それはちゃんと撮影の目的があって昼間街の中を撮影するのである。当時はコダクローム25を使っていたから絞り開放にして1000分の1秒位のシャッターを切ると非常にピントの浅い現実感がないような写真を撮ることができた。でもそれが表現として成り立つかと言うような話は別で単なる興味本位でやっただけであるから

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Noctilux  0.95の闇 古いタングステンランプをトキワ荘マンガミュージアムで撮る🐭NEW7/20🐭

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東京光学のカメラPrimoFlexはなぜ良いのか考えてみる🐭7/19🐭

6センチ× 6センチのスクエアな方マットと言う存在感には形而上学的な香りがする。だから哲学的な方向への興味よりもさらにそのレベルが高いのである。6センチ× 6センチの撮影ならやはりハッセルブラッドのような一眼レフよりもローライのような2顔レフに限る。

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727cosmetics🐭7/18🐭

東海道新幹線に乗ると、名古屋近辺でこの看板をよく見る。1970年の大阪万国博覧会の頃から私は新幹線に非常によく乗るようになった。愛知県のトヨタ自動車の新型の車の撮影をしていたからその業務で乗らざるを得なかったのである。そして私の記憶に残っているのは当時からこの広告が新幹線の沿線上にあったような気がする。

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