- 運営しているクリエイター
記事一覧
4月第2弾マガジン ⑤ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ウィリアムクラインの代表作ニューヨークを高校生の時代に買った。写真学生の間で結構ミニブームになっていたこの写真集を銀座の洋書店に行ったら最後の1冊であった
その値段は同時2800円もした。高校生のお小遣いの手には余るような値段なのである。その時のレシートはすでにインクがほとんど色あせていたが、プラハでクラインに会ったときにその写真集にサインをしてもらった。何十年も写真集の間に挟んであったもうインクの色が完全に退職したレシートを大写真家に示したのである。クラインはchotoku Happy Newyork!と書き込んでくれた。
4月第2弾マガジン ⑦ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ロバートフランクのアメリカ人でわれわれは20代を過ごした。フランクに教えられた最大のポイントは正面から撮影した人物像が良いスナップショットではないと言う事
私の大切な友人だった写真家の須田さんが亡くなって3年になる。須田さんのスナップショットの方法論を見ていると勉強になることがたくさんあった。須田さんは後に面倒見の良い写真家の先生になってお弟子さんもたくさんいらっしゃってそういう皆さんが須田さんに対する喪失感を強く持っているようである。もうちょっと長生きしていろいろ教えていただきたかったと言っている人が多い。
4月第2弾マガジン ⑧ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 スイスのルツェルンで出版されている世界的なカメラ雑誌Cameraに私は2度ポートフォリオを発表したことがある
最近のカメラ雑誌の編集者さんは既にかつてスイスのルツェルンで発行されていた世界的なカメラ雑誌Cameraのことを誰も知らないのである。1960年から70年にかけてカメラ雑誌にポートフォリオ発表すると言う事はそれこそ鬼の首を取ったような名誉なことであった。編集長はアランポーターと言う人でニューヨーク近代美術館のSzarkofski写真部長、そして日本のカメラ毎日の山岸さんの3人が当時の世界の写真界で非常に影響を与えるトライアングルと言われていた。
4月第2弾マガジン ⑪ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 現実の 1964年と2020年の時間の間に私にとってスナップシューティングはどのように変わった意味を持つのか?
スナップシューティングと言うものは写真の表現としての歴史と常に一緒に走っているものであるからまず小型カメラで動くものを撮影することができるようになった時代からスナップショットが開始されたと言うわけだ。ライカがスナップショットをスタートさせたと言うのとほぼ同じ時期であるがアメリカを中心として4インチ× 5インチのスピードグラフィックカメラにフラッシュをつけて撮影すると言うのもメジャーなスナップショットのテクニックになった。