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4月第2弾なぜスナップショットが取れない時代になったのか?

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カメラノートスペシャル4月第二弾です。スナップショットの諸問題を取り上げます。
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4月第2弾マガジン ① なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 日大写真学科の写真基礎技術が嫌になって街にスナップに出た

私が東京のスナップショットの面白さに気がついたのは1964年の東京オリンピックの時である。町中に外人さんが歩いていると言う事自身が面白かったのである。それ以前はアメリカ軍のユニフォームを着た外人さんばっかりで何か変な感じだった。それが我々極東の人間に混じって普通の外人さんが歩いているということが理由もなく嬉しかった。

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4月第2弾マガジン ② なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ニコンエフをミラーアップして2.1センチの超広角レンズでノーファインダーで東京の街を横切った

1958年に登場したニコンエスマウント用のニッコール2.1センチと言う超広角レンズがあった。1959年にニコンはその後にメジャーな一眼レフとなったニコンエフを発売したのである。でも当時はレトロフォーカスのシステムによる広角レンズと言うのは28ミリ止まりであったので、急遽レンジファインダ用の2.1センチのニッコールをニコンエフマウントにして発売したのである。

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4月第2弾マガジン ③ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ライカM2のブラックペイント 35ミリのレンズをつけて東京のスナップを開始した。

1960年代の代表的な写真家と言うとみんなライカM2なのである。リーフリードランダーがそうだったし彼のクローム仕上げのライカM2はフリードランダーの最初の写真集それは自費出版なのであるがセルフポートレートと言うタイトルの写真集でよく鏡の中に登場するのである。

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4月第2弾マガジン ④ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 エルスケンのsweetライフを見て感激した。銀座の書店に走っていて6500円の写真集を買った。高かった

1967年に結構前衛的なカメラ雑誌が存在した。カメラ時代と言うのである。写真同人社と言う会社が出していて1967年の1年だけ存続したかなり優れたカメラ雑誌であった。編集部は麹町3丁目の麹町スカイマンションと言うところにあった。同じマンションには写真家土門拳の事務所もあったから我々は日本の写真界の代表的な場所であると言う風な理解をしていたのである。日本の写真界の日本の

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4月第2弾マガジン ⑤ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ウィリアムクラインの代表作ニューヨークを高校生の時代に買った。写真学生の間で結構ミニブームになっていたこの写真集を銀座の洋書店に行ったら最後の1冊であった

その値段は同時2800円もした。高校生のお小遣いの手には余るような値段なのである。その時のレシートはすでにインクがほとんど色あせていたが、プラハでクラインに会ったときにその写真集にサインをしてもらった。何十年も写真集の間に挟んであったもうインクの色が完全に退職したレシートを大写真家に示したのである。クラインはchotoku Happy Newyork!と書き込んでくれた。

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4月第2弾マガジン ⑥ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 スナップ写真と言うものは写真とは全く違うものである

カメラ毎日などでスナップ写真をたくさん発表するようになってある時講談社のタイトルは忘れた雑誌から原稿の依頼があった。そのタイトルはユーモア写真と言うのですぐ断ったのである。私はエリオットアーウィットが大嫌いだから当然の話である。エリオットアーウィットと言うのは写真を理解していない連中そして写真を理解しようと考え始めた皆さんがエリオットアーウィットに騙されてしまうのだ。非常に危険な存在の写真家である。

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4月第2弾マガジン ⑦ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 ロバートフランクのアメリカ人でわれわれは20代を過ごした。フランクに教えられた最大のポイントは正面から撮影した人物像が良いスナップショットではないと言う事

私の大切な友人だった写真家の須田さんが亡くなって3年になる。須田さんのスナップショットの方法論を見ていると勉強になることがたくさんあった。須田さんは後に面倒見の良い写真家の先生になってお弟子さんもたくさんいらっしゃってそういう皆さんが須田さんに対する喪失感を強く持っているようである。もうちょっと長生きしていろいろ教えていただきたかったと言っている人が多い。

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4月第2弾マガジン ⑧ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 スイスのルツェルンで出版されている世界的なカメラ雑誌Cameraに私は2度ポートフォリオを発表したことがある

最近のカメラ雑誌の編集者さんは既にかつてスイスのルツェルンで発行されていた世界的なカメラ雑誌Cameraのことを誰も知らないのである。1960年から70年にかけてカメラ雑誌にポートフォリオ発表すると言う事はそれこそ鬼の首を取ったような名誉なことであった。編集長はアランポーターと言う人でニューヨーク近代美術館のSzarkofski写真部長、そして日本のカメラ毎日の山岸さんの3人が当時の世界の写真界で非常に影響を与えるトライアングルと言われていた。

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4月第2弾マガジン ⑨ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 世界で1番スナップショットがやりにくい国がこの国である

ギャラリーバウハウスで展示中のこの写真を友人の写真家に見せたらこんなことを言われたのだ。このスナップを取ったとき歩いている女の子のお父さんに文句言われませんでしたか?とんでもない話!50年以上前はみんなスナップをすると喜んでくれたものです。

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4月第2弾マガジン ⑩ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020  私にとっての理想のスナップショットカメラは何であったのか?

一番最初はニコンエフに2.1センチの超広角レンズをつけて東京の撮影をしていたのであスナップシューティングにる。1966年からこのシリーズがスタートした。ギャラリーバウハスナップシューティングに使っているのであるが2月から4月にかけて展示した東京のスナップショットの1964から2020と言うシリーズでも多くの写真はミラーアップされたニッコール2.1センチで撮影されている。

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4月第2弾マガジン ⑪ なぜスナップショットが取れない時代になったのか?Today Tokyo 1964/2020 現実の 1964年と2020年の時間の間に私にとってスナップシューティングはどのように変わった意味を持つのか?

スナップシューティングと言うものは写真の表現としての歴史と常に一緒に走っているものであるからまず小型カメラで動くものを撮影することができるようになった時代からスナップショットが開始されたと言うわけだ。ライカがスナップショットをスタートさせたと言うのとほぼ同じ時期であるがアメリカを中心として4インチ× 5インチのスピードグラフィックカメラにフラッシュをつけて撮影すると言うのもメジャーなスナップショットのテクニックになった。

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