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その「手段」の「目的」は何?


僕は会社員なのですが、仕事をしているときに「目的」を見失っているな、と感じることがよくあります。

たとえば、「働き方改革」もそのひとつです。

働き方改革を行う目的は、一人ひとりの意思や能力、個々の事情に応じた、多様で柔軟な働き方を選択可能とする社会を追求していくことで、「労働者にとっての働きやすさ」を実現していくことにあります。

とのことですが、実際2019年4月から「働き方改革」が始まると、
これまでと労働環境(職場の配置や人員)はなにも変わらないのに一カ月の残業時間の上限が設定されたことによって、業務がまだ終わっていないのに退社するように促されたり、残業時間の上限に達してしまいそうな社員の代わりに、休日出勤をお願いされるということが起こりました。


これは「労働者が働きやすいように」という「目的」のために
「残業時間の上限を決めて早く退社できるようにしよう」という「手段」をとったのですが、結果的には労働者が「働き方改革」以前よりも厳しい労働環境に追い込まれる形になったのです。


「働き方改革」を例にだしたので、なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、こういったことは日常のあらゆるところで起こっています。


〇お客様に自社商品をより多く使っていただくために、販売員に対して営業指標を設けたが、ただ販売数を増やせばいいと捉え押し売りを行ったため悪評が立ち、商品が売れなくなる。

〇家族が豊かな生活を送ることができるように、仕事を頑張って昇進して給料は多くなったが、管理職になったために仕事漬けの毎日で家族との時間がなかなかとれなくなってしまう。

〇ダイエットをするために食事を控えることにしたのだが、あまりにも急激な食事制限をしたために、辛くなってダイエットをやめてしまった。


このようなことが起こってしまうのは、
当初は「目的」を達成するために「手段」を選んだはずなのに、いつしかその「手段」が「目的化」してしまい、「真の目的」を見失ってしまっていることが原因です。


つまり、
ダイエットをするため(目的)に食事を控えることにした(手段)のだが、あまりにも急激な食事制限をしたため(手段が目的化)、辛くなってダイエットをやめてしまった。

「真の目的」はダイエット、だったはずなのにいつしか「真の目的」を見失い、食事制限が「目的」になってしまったのが問題なのです。

食事制限が「目的」になってしまったとしても「真の目的」がダイエットであることをしっかり見失わなければ
「ここで無理をしたらダイエットが継続できなくなるかもしれない」
と考え、違う「手段」を探すことにつながるのです。


自分では分かっているつもりでも夢中になっているときや、うまくいかなくなったときほど、心に余裕がなくなり「真の目的」を見失ってしまうものです。
僕はこのことが原因で失敗をしたことが過去に何度もあります。

みなさんも「真の目的」を忘れることなく、その「真の目的」を達成するための「手段」を選び、コツコツと積み上げていきましょう。




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