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自己紹介・これまでのこと

私たち夫婦はミドサーの再婚同士。

1度目の結婚は夫が8年、私は9年ほどだった。

夫の方は不妊治療をしていたみたいだけれど、うまくいかなかったらしい。
私の方は不妊治療はしていなかったものの、避妊はしていなかったが出来なかった。

もしどちらかに前結婚相手との間に子どもが出来ていたら、おそらく離婚していなかっただろうし、そして私たちは出会いさえしていなかっただろうと思う。

体に異常はなく、9年の間自然妊娠をしなかったため不妊認定は間違いなかったが、当時は気持ちの問題が大きかったかもしれない。

どうしても前夫との間に子を育める自信がなかった。

しかし離婚し、今の夫と再婚したころからそれまで感じたことのないほど
「この人との子どもが欲しい」
と感じるようになった。

入籍の少し前から避妊するのをやめたが、それでも一向に妊娠の気配はなかった。
夫と付き合った頃は、「34歳までには妊娠している予定」と宣言していたが、34歳はつつがなく過ぎていった。

大阪から名古屋、名古屋から東京と夫の転職と転勤が続き、1年のうちに3回引越しをしたためか、心身が落ち着かなかったことも原因かもしれない。

入籍して1年と2カ月。
避妊をやめて1年と半年。

そんなある日、実家で可愛がっていた愛犬が亡くなった。

5月のGWに帰省した際に、急に具合が悪くなった。
心臓弁膜症だった。

あまりに急なことでいつも帰省時には嬉しそうに飛びついてくる愛犬が、膝の上で動けず苦しそうに荒い息をしている姿が辛かった。
「イヤだ、イヤだ、イヤだよ」と力のないその仔を抱きながら泣いた記憶がある。

母は
「あんたがめちゃくちゃ泣くからお母さんだって泣きたいのに泣けなかった」
と言っていた。


最初の病院では「一旦家で見守るように」と返された。
言われた通り見守っていたが、一向に苦しそうな息遣いが収まらなかったため、若干最初の病院を恨みながら、急いで家から車で40分ほど離れた救急病院へ連れて行った。

病院へ運び込むと、救急担当の獣医師は急いで呼吸器を愛犬につけながら、「ここまでひどいと、今日が峠。難しいかもしれない…」と覚悟を決めるように言われた。

しかし、10日間の入院の末なんとか元気になり、
「よくがんばりましたから褒めてあげてくださいね」
と退院。

以前のように「抱いてくれ」と2本足でおねだりしてきたり、ぎゅっと抱きしめ撫でると嬉しそうに顔をなめつつ、腕の中で抱かれていたのがかわいかった。

通院は欠かせなかったため、5月いっぱいは東京へ戻らず実家で過ごした。
久しぶりの愛犬とのたっぷりの時間が愛おしかった。

6月7月は月1度づつ東京から実家に戻り、夫も一緒にきてくれた。

実は前夫と飼い始めた犬だったが、今の夫が元々犬好きでマメな性格だからか、とてもよく懐いていた。
夫の膝の上がまるで愛犬の特等席で、今までだれにも見せたことのない気持ちよさそうな表情で撫でられ続けていたのを思い出す。

そういうわけで、5月も下旬になり愛犬の症状が落ち着いたころ私は東京に戻った。
私がいない間は母には看病と通院で大変な思いをさせてしまったが、家族の間では
「なんだかんだ、この仔ならあと5年くらいは生きてくれるだろう」
という楽観した思いが漂うようになっていた。

そんな矢先。
7月末、母から連絡が入った。

「もう危ないかもしれない」

私たちが楽観視していた間も、心臓病のせいで体の機能が低下し、あちこちが悪くなっていたらしい。
2週間おきに通院はしていたが、急激な悪化だった。

楽観視できたのは、あの仔がしんどそうな姿を見せず笑顔を見せてくれたり、撫でろと寄ってきたり、ごはん食べさせろと腹時計でねだってきてくれていたから。
病気の前のような、可愛いいつもの姿を見て、すっかり私たちは安心していた。

でも本当は、以前に比べて動く量は減っていたし、元気そうにはしゃぎまわったあとは、前と比べて息が荒い時間が長くなっていた。
あんな小さな体で、本当はしんどかったんだろうと考えると、今も涙が出てくる。

入院をして数日後の8月1日。

愛犬はなくなった。

最初に救急で担当をしてくれた獣医師が最後までずっと診てくれて
「最初に運ばれてきた時にはもう難しいかな、と思ったので、本当によくがんばりましたよ」
と言ってくれたらしい。
最後、私は会いに行けなかった。

再入院が決まった時に
「きっとまたすぐ元気になってくれる」
「今週末戻る予定をしているから、その時まで大丈夫だろう」
と、どうしてすぐに実家へ戻らなかったのだろう、と今でもとても悔いている。

なくなったのは、病気発覚からちょうど3カ月が経った頃だった。
私たちにお別れの準備をさせてくれていたのかもしれない。
5月にはもう限界だったけれど、もしかしたら、まだもう少しだけ一緒にいたいと願ってくれたのかもしれない。

そして私は愛犬の死の報せを聞いて決めた。

心から湧き出すような、願望のような決意だった。

「絶対にあの仔の魂を私のお腹に宿す」
「絶対にあの仔を私が生む」

なぜか確信があった。

愛犬が具合が悪くなったとき、私も原因不明の体調不良で体が思うように動かないことがあった。

5月に帰省する前日もそうだったし、7月末、母から連絡を受けた時も体調が悪くぐったりしていた。
言い訳だが、自分の体が辛くとても外出できる自信がなく帰省を先送りにしてしまったのだ。

私は霊感が優れているわけでも、スピリチュアルに通じているわけでもないが、なにか目に見えない繋がりのようなものがあり、あの仔の具合の悪さが私に伝わっているんじゃないかと思うような感覚だった。

理論的に説明しろと言われても説明はできないし、そんなことあるはずないと鼻で笑われればそれまでの話だ。

だが、私はこういう類の、自分にしか分からないが確かな感覚があったときは、それを信じるようにしている。

そしてどこかで予感していた。

5月に愛犬の病気がどうなるか分からない、と見守っていた時。
ずっと心のどこかで
「もしかしたら、私は妊娠するんじゃないか」
と感じていた。

もしもこのままこの仔がなくなってしまったとしたら、妊娠する

そんな予感がずっと拭えなかった。

前の夫との結婚から今の結婚までの年数を考えると、10年以上も避妊せず、排卵期にセックスをしたって1度も妊娠陽性に引っかかったことがないのに、なぜかそう感じていた。

そして、5年は生きるかもしれない、と楽観視が漂った時には正直なところ
「じゃあ、私たちはやはり子どもは望めないかもしれない」
と言葉に出して言ったわけではないし、理屈で考えたわけでもないが、なんとなくそう思っていた。

そして、やはりというかまさかと言うべきか分からないが、
愛犬の死から約半月後の8月18日。

フライングで検査をした妊娠検査薬にうっすらと線が出た。


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