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興津・阿房列車と由比・旬!桜エビの旅②
今回は、内田百閒師匠の「区間阿房列車」を追想する旅。興津・由比の地を初めて訪ねながら、発見と感動の連続です。興津をもう少し歩いて、由比へ向かいます。
西園寺公望の坐漁荘
清見寺から歩いてすぐのところに、最後の元老、西園寺公望《さいおんじ きんもち》の別荘、坐漁荘があります。西園寺公は昭和15年に90歳で亡くなり、幕末から戦前昭和まで駆け抜けた大御所。フランス留学経験もあり、総理大臣を2度経験した後、パリの講和会議にも参加、欧米との対話を促し、戦争に突入するのをなんとか防ごうとした自由主義者でした。教育にも関心があり、立命館創設に寄与します。晩年あまりにも影響力があり、多くの政治家がこの坐漁荘に足を運ぶため、「興津詣で」と言われたとか。興津詣での来客が多く泊ったのが、水口屋なのでした。
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さて、坐漁荘、今日は解説のガイドさんがいないので、中のビデオをご覧くださいということで、玄関口のモニターでビデオを拝聴。
この地に別荘を建てるようになった経緯は、井上馨が興津に広大な別邸を建てておりそこを尋ねた時に、温暖な気候や清見潟が気に入り、隠居の地として、選んだようです。とは言え、井上邸とは真逆で、コンパクトで簡素、こじんまりとした造りであり、彼の謙虚な姿勢がそのまま別荘に現れています。
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この坐漁荘は、阿房列車でも2度名前が挙がり、時雨の清見潟の阿房列車では、以下のような曲者のうんちく。
水口屋へ近づく何軒か手前の同じ並びに、西園寺公の坐漁荘がある。水口屋のすぐ近所だと云う事は前前から聞いていたが、まだ行って見た事はない。その前に自動車を停めて、車窓から表の構えを眺めた。質素な感じがしただけで、別に感慨も起こらない。
又起こる筈もないと自分で思った。遺跡とか名所旧跡とか云うものに対して、私は不感のみならず、どうかすると反感をいだく様である。
とは言え、わざわざ車を停めさせて、眺めるのだから、観たいのでしょう笑
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西園寺公、西洋帰りで、パンも好きだったようです。ウィーンで憲法学んだり、ドイツ・ベルギーの公使もやったりと経験豊か。
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フランス留学時代 この雰囲気モテたのでは!?
戦争に突入していく中、平和主義を訴え、軍部には煙たがられ、2.26の時には坐漁荘から一時避難しています。訪ねてくる来客も途絶えることなく、坐して漁をするような生涯ではなかったようです。
最後の言葉は、「いったいこの国をどこへもっていくのや」ということで、この時代に西園寺公望が生きていても、同じ言葉を吐くのではないかと…。
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お隣の由比駅へ
予想以上の興津の歴史に触れて、昼食抜きの時間オーバー。行きがけに気になっていた「宮様まんぢう」の店に立ち寄ります。興津の街を歩いて、数々の歴史に触れたら、明治・大正・昭和の天皇も興津を訪れて、ここに宮様まんじゅうがあるのは、自明。
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明治時代に清見寺にある宮様が泊まられた時に献上してからできたようで、一口サイズの酒饅頭です。一箱頂き、ついでに揚げたての揚げ饅頭も購入。
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あまりにも没頭しすぎで、昼食忘れ、宮様まんぢうが昼食代わり…。
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由比まで約4分、薩埵峠の脇を通り、海岸沿いを走ります。
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このあたり、昔はもっと海が見えたのですが…。いつの間にかほとんど見えなくなりました。阿房列車の頃の車窓といえば、こんな感じです。
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このあたり、昔は撮影スポットだったと思いますが、今はどうなんでしょう…、大きな台風が来れば、高速道路も通行止めになってしまうほど海は近いので、護岸工事とこの道路は仕方が無いのか…。
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由比駅と広重美術館
こちらはあっという間に由比駅に到着しましたが、「区間阿房列車」では百閒師匠は下記のように、由比へのアプローチを自画自賛。
嫌いじゃないです笑
東京へ帰るのに、興津から静岡までスウィッチ・バックをして、もう一度この興津駅を通過するわけである。しかし、そうするとしても今すぐには静岡へは行かない。静岡へ行くに就いては、静岡へここから行くより一駅遠くなる由比駅へ一旦スウィッチ・バックをして、つまり興津の東にある由比へ逆戻りして、それから、由比から西の静岡へ行こうと思う。この儘東京へ帰るのだったら、興津から由比へ行くのは逆戻りではないが、東京へ帰る為に静岡へ逆戻りしようと考えていながら由比へ引き返すのは、逆戻りの上に更に逆戻りを重ねるである。スウィッチ・バックの妙、ここに極まれりと感心しながら、お午過ぎに興津から上りに乗って由比へ向かい、一駅だからすぐに着いて、由比駅に降りた。
ということで、帰りは急行を使いたいがために、一度静岡に出るため、
〇興津→(逆)静岡→(急行)東京
というところであるが、すぐに静岡には寄らず、
〇興津→(逆)由比→(逆)静岡→(急行)東京
ということでスウィッチ・バックを二回入れたという事だけなんですが、由比へもやはり行きたかったのでしょう。
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由比駅からは海はほとんど見えませんが、潮の香りで海が近いことが分かります。百閒師匠はこの駅が好きで、こんな描写も…。
小さな由比駅の本屋の全景が見える。人影もない待合室の中を、三人兄妹と思われる小さな子供が駆け廻り、ぐるりと廻った機みの勢いで改札の柵に飛びつく。一番末らしい女の子は、余り小さくて柵に攀じられない。そのお尻を兄貴が押し上げてやる。子供も小さいが由比駅の改札も小さい。出入口各一つしかない。しかし、桜えびの季節になると、この辺りの漁師の群れがその一つの改札口を押し合って通る様なこともある。
どこがいいのかと聞かれても、よく解らないが、私は由比駅が好きで、何度もこの改札の御厄介になっている。
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由比は、桜えび漁の中心地。桜えびとは、かなり小さめのえびで、茹でなくても桜色のきれいなえび。駿河湾にしかいないと教えられていましたが、実際は東京湾・相模湾にもいるようです。ただ静岡県でしか、漁業許可が下りておらず、桜えびと言えば、「駿河湾」であり、この辺りの名産ということになっています。ご賞味は後ほど。
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駅の目の前が旧東海道=由比桜えび通りということですが、興津で時間を取られたため、由比宿の本陣のあたりに、広重美術館があるので、タクシーで向かいます。
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美術館は近代的な作りで、浮世絵とその工程の解説、造られる工程が体験出来たりします。広重の「東海道五十三次」はあまりにも有名なのですが、特別展示で広重作の「五十三次名所図会」なるものの存在を知りました。
こちらは、初めてお目にかかる東海道の名所図会で、色彩も鮮やか、構図も素晴らしく、一枚一枚見入ってしまうくらい。残念ながら、撮影禁止。上記の慶応大学のデジタルコレクションで「五十三次名所図会」の小さなサンプルをいくつか見ることが出来ます。
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由比宿をゆっくり南へ
ここから、今日の旅館まで、旧東海道を下ります。下の写真は地元の企業のHPから引用させてもらいましたが、まだ沿岸に国道1号線と東海道線のみの景色。密集した宿場町のすぐそばまで海です。
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昔、鈍行列車で、このあたり親父と走った時に、車窓から見た小川が赤くて、これなんで?と聞いたところ、桜えびを茹でているからだと。今も赤く染まるの川を見ることが出来るんでしょうか。
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軒先が大きく重厚な造りの民家。せがい造りと言い、由比でよく見られた造りだそうです。海が近く、暴風雨にも、腐食にも耐えられるようにということで、確かに強そう。
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なんと昨日が、秋の桜えび漁の解禁でした。県内のニュースでは、春のイメージしかなかったのですが、春と秋に漁を行うということで、すぐに帰るのであれば、買って行きたいところ。
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東海道線と国道一号線の間にこんな漁港があるのでした。狭い港口から、船が出入りしています。
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割烹旅館「西山」の桜えび料理!
また駅から歩いて、本日投宿の割烹旅館西山に向かいます。山手にあるので、旧街道から少し外れて、住宅地を抜け、一つ上の国道を歩いて、十数分で到着。
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早速、夕食です。この旅館は、開花亭という料亭を隣接で開いており、今日も地元の中学校の同窓会の人たちが押しかけていて、にぎやか。地元の人たちに愛されている証拠なので、期待高まります。
今宵は珍しく料理並べますW
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こちら、生の桜えびを揚げるそうで、ご覧の通り、ほとんど桜えび!脳中にえびの強い香りが残るのではないかという…。香ばしさと共に、いままで自分が食べていた「桜えびのから揚げ」は何だったのかと思うほど。
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地のモノはさすがという二品。あっさりと食べやすい太刀魚に、鰻は臭みがあるので、白焼きは知らない方も多いかもですが、このあたりは静岡です。
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こちら締めは、郷土料理ということで、桜えびと豆腐の卵とじのような料理ですが、つゆはすき焼きのように甘いです。女将さんに聞いたところ、この地域の料理は全般甘めで、お嫁さんで来た当初は、「お砂糖の分量間違えているの?」と思ったそうです。
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最後にはマンゴーのデザート。
総じて、「割烹旅館」ということで、一品一品確かなものばかり。
【竹/桜えびづくし御膳+駿河湾海の幸】当館スタンダード!新鮮な桜えびと魚介類~静岡うまいもんめぐり~の名前の通り!
百閒師匠の由比での宿泊は何処なの?
夕食後は、ひと風呂浴びます。こちらは温泉ではないですが、男女は別、家族風呂のような雰囲気で、湯舟も広く、くつろがせてもらいました。あがったら、ちょうど、親子連れの方々と交代。
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お昼に買った宮様まんぢうを食しながら、
阿房列車を再読、百閒師匠、由比の街や海岸をを歩きながら堪能し、興津と同じく筆が進んでます。
追風を受けながら、由比の町をぶらぶら歩いた。今は裏街道になっている東海道の旧国道には、昔風の建て方の家が残っている。路地の入口に黒い犬がいて、こちらを見ていた。往来に面した戸袋の上に目白籠がおいてあって、目白(メジロ)が囀っている。~(略)屋根越しに見える後ろの崖には、夏蜜柑がぼんやりした燈火をともした様に点点と生っている。海でとれた桜蝦を茹でるにおいがする。その外にはなんにもない。
海を背にして、目近に次ぎ次ぎといい汽車を眺められて運がよかった。昔から何十遍も、数が知れない程この辺りを通り過ぎる度に、汽車の窓から眺めて馴染みになった磯に起って、今度は磯から通り過ぎる汽車を眺める。若い時の事が今行った汽車の様に、頭の中を掠める。命なりけり由比の浜風。
この後、海岸で見る大きな岩を眺めながら、この岩は、学生の時分から、汽車から見た覚えのある見慣れた岩だと。何十年も過ぎた思い出が今日の事のように新鮮であると、これまた、夢心地のような回想が続きます。
ところで、百閒師匠、由比には二回来ていますが、両方とも由比で宿泊しています。一体どこに泊まっていたのか。水口屋の名はあるけれども、由比の宿は無名のまま。
駅に戻って、駅長さんを待ち、一緒に連れ立って、少し早目に、山寄りの坂の上にある宿屋へ出掛けた。駅長さんは余りお酒を飲まないそうだが、お休みの日の晩を私共の為に繰り合わせてくれた。宿屋は昨夜の水口屋と違い、余っ程鄙びていて、亦その趣がある。
由比の宿屋から、ぶらぶら蜜柑山の山裾を歩いて、駅に出ようと思っていると、宿屋の門の前に、蜜柑箱に車をつけた位の小さな自動車が待っていた。宿のサアヴィスだと云うので止むなく乗ったら、すぐに駅に着いてしまった。それで散歩が出来なかった。
鄙びていながらも趣があるという評価。山寄りの坂の上にある宿、駅から車なら、あっという間というところから、百閒師匠が泊った宿に近しいロケーション。百閒師匠師匠の宴会はこんな夜の海を見ながら続いたのでしょうか…。
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ココなのか!
日曜、夜明け前に目覚め、外はひんやり。しかし、海のそばだからか、そこまで寒くはありません。ここも昔は広く海岸が見渡せる宿だったことでしょう。
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朝食は7:30から。隣には、お子さん三人の親子連れが楽しそうに食事。こちらは一人でゆっくり頂きます。鯵の開きは、伊豆出身者としては、食べ慣れていますが、肉厚で立派な鯵の開き。酒粕で出来たわさび漬けが付くあたりも静岡ならではでしょう。
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帰り際、宿の御主人にいつから店を開かれたか聞いたところ、昭和一桁台でこの山手の高台に元々あったとのこと。食事処の開花亭の方は後から営業で、かつては「沸かし湯の宿」だったんですよ、ということで、やはり!!
「ココは内田百閒が来たんじゃないですか?」とストレートに聞いてみたところ、「いやいや、そんなお偉い方は…」と濁されました。
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百閒師匠の由比の無名宿は、ココで間違いないだろうと浮かれながら、「西山」を後にしました。玄関すぐから遠くには、三保の松原がわずかに見えます。
ここから百閒師匠にあやかって、静岡方面に向かいます。
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こちらは、東静岡に用があるため、今回はここで初めて下車。この辺りは広大なJRの敷地が続き、かつては貨物駅があり貨物列車が多く止まっていた記憶があります。清水港とも関係していたのでしょう。
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百閒師匠とヒマラヤ山系氏がご覧になったら、腰を抜かすような駅は巨大ですが、駅周辺はまだまだ再開発途中。駅の時刻表を見れば、この辺りは日中は1時間に5-6本の鈍行列車が走っています。今日は東京まで、鈍行で帰ろうか…。 (2023.11)
後記~由比の「西山温泉」
静岡市立図書館の図書館だよりによると内田百閒の日記には、興津・由比の宿泊も綴られ「西山温泉」に泊まったとの記載があり、ヒマラヤ山系こと平山三郎氏の回想録にも「西山温泉の一軒しかない宿へ行った。温泉といってもわかし湯だが、簡易旅館の趣で…」と記載がありました。百閒師匠の言及した宿は、割烹旅館「西山」で当確。百閒師匠がお世辞抜きで評している宿、贅沢な宿ではないですが、料理良し、簡素・清潔な、おススメの旅館であることは間違いなしです!
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