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鉄道を描かない架空鉄道ー一つの方法論的試案ー

 と、何かかしこぶったタイトルを付けてみましたが、あまり大した事は言いません。
 架空鉄道というものがあります。架空鉄道とは文字通り架空の鉄道で、地図の上にえいやと線路を引けばそれすなわち架空鉄道となるのですが、鉄道ファンの性でそれでは気が済まない人が大半です。それで皆苦労してダイヤを引いたり社史をこしらえたりしているのです。それはこれをお読みの方はよく知っていると思います。

 映画やドラマに電車がちらっと出ていると、話の筋はそっちのけで電車を追ってしまう、そんな経験はないでしょうか。古くから鉄道は出会いと別れに彩られていました。また、背景としても鉄道は優れています。人間関係を描くためには、イチョウ並木だとかどぶ川だとか(前者は並木の雨、後者は神田川ですね)、そういったものに頼るほかないのですが、そこに鉄道が含まれるということはしばしば忘れられやすいです。
 あるいは、鉄道の出てくる歌もあります。ぱっと思いつくのは「赤いスイートピー」「木綿のハンカチーフ」ですね。僕の大好きな曲は「さらばシベリア鉄道」です。これはすごいんですよ。何がすごいって、北の荒涼とした雪原を吹雪のなか走る列車の姿を、鉄道用語をほとんど用いずに描いてみせたところです。下にリンクを貼っておきますね。やはり声の綺麗な人はうらやましいです。

 架空鉄道を創るとなると、より詳しくしなければと思い込んでしまう。詳細な設定を考案し、壮大な物語を展開してみせるのは大いに結構であり、それは一つの方法ではありましょう。
 創作の方法としてはもう一つ考えられないでしょうか。先に二つの例を挙げましたが、このように、鉄道そのものを主題としながら、あえて鉄道を間接的に表現する方法です。架空鉄道作者のなかには小説を書いたりポスターを作ったりする方がいらっしゃいます。電車を描かなくても、それは鑑賞者一人一人の脳裏に自然と現れてくるという考え方、これに立脚した架空鉄道も考えられるのではないでしょうか。

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