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【書評】『戦後史のなかの日本社会党』

(ヘッダー画像出典=Wikipedia)

 冷戦終結とともに消えたはずなのに、今もその名をささやかれる政党がある。日本社会党だ。報道にはしばしば「立憲民主党は日本社会党のようだ」「野党は日本社会党の道を歩むな」といった文言が現れる。いや、文言というより呪文かもしれない。日本社会党という幽霊を除霊するための呪文である。その死から二十五年以上が経った今も、幽霊は日本の政界を歩き回っているらしい。

 本書は、戦後政治の一翼を担った日本社会党の党史であると同時に、日本社会党を通じて戦後政治史をみる試みでもある。著者があとがきに記しているように、「『日本社会党とは何であったか』を問うことは、『戦後日本とは何であったか』を問いかけることでもある」。日本社会党は、片山政権・芦田政権で与党となってから細川政権に加わるまで、戦後一貫して野党第一党であり続けた。政権こそ取らなかったが、日本社会党は戦後の政治の「陰の主役」であったともいえる。その日本社会党の党史というネガフィルムを透かしてみると、そこには何が写っているのであろうか。

 著者が明らかにしたのは、日本社会党の矛盾であった。平和革命を唱えながらソ連型の社会主義に憧れる。議会主義を主張しつつ国会外での社会運動にのめり込む。中ソ対立のなかで、中国にもソ連にも友好的な態度をとる。社会党は矛盾の塊であり、支離滅裂である。
 矛盾の最たるものは、非武装中立論だ。これは、日本は軍事力をもたず、米ソどちらの陣営にも加担すべきではないとする方針である。非武装中立論にしたがえば、日米安保条約の廃棄、在日米軍の撤退にとどまらず、日本はアメリカ帝国主義と対決すべきであるということになる。また、ソ連率いる共産圏を平和陣営と捉えながら、共産圏からも距離を置こうとする。要するに、中立を掲げるが同時に反米であり、ソ連に味方するがソ連のためには戦わない。著者は非武装中立論を評して「およそ現実にはありえない "虫のよさ" である」と述べている。私も同感であるが、だからといって社会党を支持した民意までも蔑視してはならないと考える。

 国際政治学を専門とする著者は、日本社会党を島国の一政党と捉えるのではなく、米ソ冷戦の構造のなかで社会党をみている。米ソ対立の中で日本社会党は共産圏の代弁者としての役割を果たした。
 自民党がアメリカと強いパイプをもっているのと同様に、社会党はソ連や中国、北朝鮮と友好関係にあった。社会党の外交は共産圏との関係を最大限重視するものであり、当然そこには相手国の思惑が加わった。ソ連にとっては社会党は「政治的橋頭保」であり、社会党を通じてその主張を代弁させるために裏側では工作がされていたことも明らかになっている。一方で中国は社会党を利用しようとするものの、70年代に入り米中関係が改善されると利用価値のなくなった社会党を切り捨てた。
 中ソ対立のなかで社会党が翻弄される姿が印象に残った。訪ソ団がソ連の見解を支持する一方で、訪中団は「米国は日中共同の敵」という浅沼稲次郎の発言を再確認する。党大会では親ソ派と親中派が激しく衝突する。「日本社会党が中ソ両大国に引き裂かれていく構図」は、同じ社会主義政党である日本共産党とは対照的である。ソ連や中国に利用され、党が分裂する姿を見ると、日本社会党は政権党として日本の外交を担う能力があるのか疑問に思う。政権への意志の欠如は、江田三郎を引きずり下ろしたところにも表れているのではないか。

 本書の副題は「その理想主義とは何であったのか」である。日本社会党は確かに崇高な理想を掲げていた。その理想が人々を引きつけたからこそ、三分の一の議席を得ていたのだ。しかし、筆者の出した結論は、日本社会党の「理想主義」は現実に立脚せず、現実を変革する道筋を描けないものであったというものである。筆者はこう述べる―「保守政党がほぼ恒久的にしかも執拗に固めてきた歴史の軌道を動かし改革するには、社会党の "理想主義" はあまりにも脆弱であった」と。鍵括弧付きの「理想主義」は冷戦終結とともに消え去る運命であった。


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