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#政党連合けやきの木 表現規制に関する覚書

1 反表現規制の二様態

「表現規制に反対」といっても二つの立場があり、「表現の自由」をどう捉えるかをめぐって対立している

①誰もが自由に物を言い、絵を描ける状態を保つべきである
→政治的表現であってもエロ・グロであっても一切ルールを設けない
・わかりやすい理屈
・素朴な、古典的な、市場主義的な立場
*たとえば、ラスキは『近代国家における自由』のなかで、ミルの『自由論』を踏まえ、同じ趣旨の記述をしている

・↑金や権力のある者は、よりたくさん発言し、よりたくさん印刷し、よりたくさん発信できる。だから市場原理に自由を委ねていいのか?

第125条 勤労者の利益に適合し、かつ社会主義制度を堅固にする目的で、ソ同盟の市民に、法律によりつぎの事がらが保障される。
(イ)言論の自由
(ロ)出版の自由
(ハ)集会および大衆集会の自由
(ロ)街頭行進および示威行為の自由
市民のこれらの権利は、勤労者およびその団体にたいして、印刷、用紙、公共建造物、街路、通信手段およびその他これらの権利を行使するために必要な物質的条件を提供することによって保障される。

ソビエト1936年憲法(岩波文庫『人権宣言集』)

・エロが真っ先に規制されるというのは、歴史的事実に反している。出版条例もしかり、共産党の弾圧は風俗統制に先行したし、韓国の開発独裁政権における3S政策のように国家がエロを容認する場合もある

→『表現の不自由展』を中止させようとする動向に荻野議員が懸念を示したそうだが、そもそも氏の政治的立場は自民党内の(体制内の)議員と近しいものである

②表現の場は公権力によってではなく、自発的な秩序によって公正に保たれるべきである
→ゾーニングを表現物の共存の方法として採用する
・歴史的背景を踏まえ、表現の自由を権力への武器として位置づける

・難しい。どこで線を引くのか。営利表現と芸術的表現の違いは
→ゾーニングとは「守っても突破されるもの」、各自のメタバース内で心地よく過ごすべきであろう

・まずはネットのフィルタリング機能を有効活用すべきではないか


2 用語の定義をめぐって

その空間ははたして「公共」のものなのだろうか、という疑問

→であるならば、まずすべきことは資本の鎖から解放することであろう。たとえば、インターネットはGoogleなりYahooなり独占的大企業によって運営されているが、それを「社会的資本」として位置づけることは難しくないのではないか

「消費」「搾取」の定義がぼんやりとしているという指摘

多分、相応の対価が支払われることなく消費されているということを、「消費されている」と言っているのではないかと思う。なので、対価を払えという議論と、払おうがなんだろうが消費されてはならない神聖なものだという議論がくっついて混乱を招いているのではないかという気はする。

ハノイのおしゃぶり

経済から―消費とは、お金と引き換えに何かの商品を使うことである

*性的消費、愛国ポルノなどの「消費」を批判する者(たとえばしんぶん赤旗)だって、お金を読者から受け取るなどと生産=消費活動はしているではないか
→それはそう。消費を経済用語と解するならば
…ただ、以下の二つの関係を、生産と消費という同類項でくくるのは経済主義的なきらいがあるのではないか?
制作会社⇒コンテンツ
政府←(赤旗⇒読者)

哲学から―フーコーとかバルトとかが使う「消費」のニュアンスではないか
→こいつらの話を我々が理解できるのか自信がない…


3 課題

①ハノイ先生の指摘を踏まえて考えたい

②課題図書を出すので本を読んでほしい


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