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「〇〇主義」という自己紹介

一体何々主義という事は私のあまり好まない所で、人間がそう一つ主義に片付けられるものではあるまいと思いますが、説明のためですから、ここには已を得ず、主義という文字の下に色々の事を申し上げます。―夏目漱石

「あなたは何主義者ですか?」
あなたならこの問いにどう答えますか。この問いに、正確に答えることがはたしてできるのでしょうか。

 実はこの問いは、空想国会(注1)の人たちにたびたび聞かれた質問です。その人たちは、誰か新顔に会うと、「あなたは何主義者ですか?」とその人の政治的な考えを聞く。また新顔のほうでも、「私は無政府市場主義者です、どうぞよろしく」と、こういう次第なのです。誰もが自分の政治的な考えを「〇〇主義」と形容して、スピーカーのように発信しているのですが、ここで私の言いたいのは、自分の政治的な考えを客観的に把握することはできないということです。

 「つむじが曲がる」という言い回しがありますが、政治的な考えとはつむじのようなもので、床屋で髪の具合を見るには合わせ鏡をもってするように、自分の政治的な考えは誰かに外側から観察してもらい、他人を鏡にすることでようやく判別できるのではないでしょうか。
 私はというと、「赤い。代々木系の人だと思う」とか「いわゆる修正主義に近いように見える」とか他人に観察してもらって、その言葉を頼りに自分の政治的な考えがだいたいどの辺りに位置するのかは知っているつもりです。ただ、それを形容する言葉はまだ見つかりません。だから「あなたは何主義者ですか?」という問いには、黙秘することにしています。

 さて、挨拶として自分の主義主張を名乗るくらいなのだから、空想国会の人たちは強いアイデンティティをもっているのでしょう。それはよい。しかし、「〇〇主義」という語は、きわめて抽象的です。
 「社会主義」を例に出すと、赤バラ(注2)から鎌と槌まで、ブラントの東方外交から毛沢東の文化大革命まで、地球規模の労働者階級の解放という理想から、革命の名の下に行われる迫害・殺戮まで、実にさまざまな事柄と結びつきます。「社会主義」を貧しき者にパンと平和をもたらす善行(注3)だとみなす者もいれば、「社会主義」を鬼や天狗の語る邪教にほかならないと解する者もいます。このように「社会主義」という語は玉虫色をしているのです。「自由主義」「保守主義」「民主主義」などなど、他の語も同様です。これらの語を何の限定も断りもなしに用いるのは、不用心というものでしょう。

 「私は社会主義者だ」と自己紹介すれば、相手は私のことをアトリー(注4)のような義に生きる者だと思うかもしれないし、スターリンのような鋼鉄の男だと思うかもしれない。ですが、私はアトリーでもスターリンでもありません。私は私です。私の本物はここにあります。
 にもかかわらず、「社会主義者」と聞くと、相手はその独り歩きするイメージを参照して、アトリーなりスターリンなりに重ねてちょろけんという人間を知る。いや、知ったつもりになるのです。要するに、生身の『私』と幽霊の『私』が入れ替わってしまうのです(注5)。

 「〇〇主義」というあいまいな言葉をもって自分の信ずるところの政治的な考えないし理念を語るのは、『私』というキャンバスに描かれた鮮やかな色彩を、のっぺりと灰色にぬりつぶすことなのです。量産された「〇〇主義者」を誰が欲するでしょうか。そんな出会いから議論が生まれるのでしょうか。私には、生身の人間をキャラクター化して、相手との交渉を断つ態度に見えてなりません(注6)。

 そもそも個人の政治的な考えとは、仮に定義するならば、ある理想をめぐって行われる思索と行動の総体から成るものでしょう。個々人の政治的な考えは、つねに動いています。「〇〇主義者」という語でくくられる個々人は、それぞれ異なる鍋をもち、その中では外から取り入れた知識と、自分の見聞した出来事とが溶けあい、混ざり合って、それがよく煮えてくると、その個人独自の政治的な考えができ上がるのです。ところが、紋切り型の挨拶では、この鍋の中身をすくい取ることはできないのです。

 初対面の相手に「あなたは何主義者ですか?」と、自分の政治的な考えを告解させるのはよそうではありませんか。無益ですから。


注1 インターネットコミュニティのひとつ。コロナ禍に始まったインターネット上で模擬国会をするという試みだが、度重なる対立により参加者の心が離れていったため、今年崩壊しました。

注2 赤バラの花言葉は「愛情」ですね。赤バラは、イギリス労働党をはじめとする、友愛を重んじ、労働の喜びを回復しようとする政党が用いるシンボルです。

赤いバラ

注3 ロシア十月革命では「パンと平和と自由」というスローガンが唱えられました。

注4 クレメント・アトリー。イギリスの政治家、元首相。労働党党首を1935年から55年まで努めました。戦時内閣では副首相であり、チャーチルを助けました。戦後の総選挙では労働党が圧勝しましたが、アトリーは党のまとめ役として、福祉国家の建設に邁進しました。

注5 丸山眞男『日本の思想』岩波書店、1961、pp140-142

注6 空想国会というインターネット上の空間では、現代社会における「キャラ化」の傾向が色濃く表れているのかもしれません。


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