#ちょろけんのメモ 枢議院会議録「住民投票は良いか悪いか」
枢議院会議録 2023. 5. 10-26
なめこ
議案の趣旨説明+議員への委任は方向づけされるべき
今回これを出したのは、自分は色んなとこで言ってる気がしないこともないんですが、選挙などでの判断材料にならなかった政策に対して議員が投票することに対して疑問を持ったのですよね。確かに委任する形ではありますが、ある程度の方向性がわかるからこそ委任ができると考えているので、皆さんの意見を聞いてみたいなという次第です。
まず、私としましては住民投票を通して政治がより身近なものになるのではないかと考えました。これに対する皆さんの意見を頂戴したいなというのが一点目。次に住民投票を行う上でこういった問題が出るのではないか、でもこういうのはいいよねという良い点悪い点などを聞かせてもらいたいです。
最上博士
住民投票の補完的効果と、住民投票を行う際の条件
ちょっと議案の趣旨からそれますが、個人的には、良いか悪いかというのは一概には言えず、その方法に拠ると思います。
理由としては、先ず住民投票という直接民主制的方法を用いることで、立法(議決)機関や行政(執行)機関の意思決定を拘束しうるため、多数派が少数派を攻撃するための政治的手段に用いられる可能性を常に危惧する必要があるためです。
次に、住民投票の方法ですが、これらに付されるべき事件というのは多くはより複雑な利害関係があり事件全体の構造も難しいものが多いと考えられます。それに対して(一般的な投票行動が選択肢の中から選ぶものであるように)是か非かで意思表明することは困難だし、他方で複雑な選択肢による選択式では最終的な民意集約として充分に機能しない可能性があります。
また、本来意思決定を委任されている政治家等と比べて持ちうる情報等に差があることも考えられるため、住民投票に付すことが即ち住民の意思表示としうるのかは明確ではありません。
これらの課題を踏まえれば、住民投票は
(1)有権者が当該事件に対して意思決定を行うに足る情報を事前に与えられ、かつ意見の形成や表明を行う充分な機会が与えられている。
(2)立法(議決)機関や行政(執行)機関が自ら処理不可能である必要がある。例えば、議決に際して可否同数が複数回に亘っている、同一・類似の事件が複数会期に亘って否決され続けている等。
(3)投票の期間や投票用紙の記載事項等、想定される多数意見・少数意見の双方が不利にならないよう慎重に決定されること。
の条件が少なくとも満たされている限りにおいて、良い=代議制の補完として機能する、と考えます。
代議制の補完として機能しうる例について言及すると、
(1)(私が命名するところの)地区主義
地方議会(特に市区町村議会)では大選挙区制単記非移譲式投票(所謂「中選挙区制」)が採用されている。更に、選挙区の領域が広く定数が大きいため、多数派形成のために所謂「票割り」が行われ、多くの場合地区(小学区等)がその単位として用いられる。これによって各地方議員が自らの地区を重視し、僅かな票数で当落が決まりかつ当選順位によって格付けがされることが多いため、当選可能性と上位当選可能性(この二つは区別される)を担保するためにこの傾向が顕著になる(これを私は「地区主義」と名付けます)。その結果、自治体全域として有益と考えられる計画が中止されたり、特定地区のみ有益な計画が実践される可能性がある。
(2)事件が複数の自治体に跨いで考えられ、かつ意思の統一が図られるべき場合
一以上の自治体に跨ぐ計画(例えばインフラ建設等)がある場合、その計画は多くの場合関係自治体のそれぞれで可否の意思決定がされる。自治体間で可否やその程度が別れることは、計画の円滑な実施の政治的ハードルとなる。特に関係自治体の住民に有益と考えられる計画が、地域間対立や党派対立によって妨げられることは代議制に対する信頼を損なう。そのため、関係自治体で一斉かつ同一の住民投票を行うことでこの政治的ハードルに対する対処策となりうる。
の場合を想定しています。
はわのふ
住民投票の欠点について①
"住民投票は悪い存在だが、なくすべきでもない"と考えます。というのも、①かえって選挙権者に不満やあつれきの残る(効用の低い)意思決定を招く可能性を疑うことができ、②結果の予見可能性にとぼしいためです。ただ、議会がとんでもない内容を可決しないよう、影から(時には正面切って)抑制する機能は期待できます。なので、いわば脇役としては大事だ、と思うに留まる次第です。もっとも現に「どこどこの選挙単位でその選挙権者の多数が、委任外の案件について住民投票の適用を積極的に求めている」場合は話が変わってきますね……
委任外への委任(選挙には争点などが存在するにもかかわらず、肝心の投票のあり方は白紙委任めいている)にたいする問題意識については、同意します。
ちょろけん
住民投票の欠点について②
なめこ先生のおっしゃる通り、住民投票は、住民参加というか、住民が地域の問題を自分事として考えるきっかけにはなります。一方で、ポピュリズム的政治家が住民投票を逆手に取って「民意」を演出しかねないおそれもあります。大衆の喝采ですね。本題とはそれますが、大阪の住民投票の例があると申し上げておきます。
最上博士
なめこさんの「選挙での判断材料にならなかった政策に対して議員が投票することに疑問を持った」というのは、(その行為・制度に対する反対と受け取らせていただくと)政治家(首長や議員)の投票行動は、選挙を通じて有権者の信任を受けた範囲で行われるべき、ということだと受け取ったのですが、まずはこの認識でよろしかったでしょうか?
なめこ
はい、その認識で合っています。伝わりにくくて申し訳ない。
最上博士
命令的委任と住民投票の関係
なめこさんの「政治家(首長や議員)の投票行動は、選挙を通じて有権者の信任を受けた範囲で行われるべき」という考え方は、命令的委任に近い考え方なのかなと愚察します。この考え方に拠れば、その範囲を超えた事件については立法(議決)機関の決定ではなく、有権者の直接の意思決定、つまり住民投票によって決せられるという理論は正当だと思います。
但し、この考え方に立って制度としての住民投票を考える時、「どこまで委任を受けたのか」と「何を委任を受けていないか」というのを定義付ける必要性が出てくると思います。極論すると、「国政(市政でもなんでも)全体を担当します」と公約に掲げて当選されたらそれは自由委任と変わらないですし、行政の事務的部分を除外対象としても、人事や潤沢な予算の投入等、政策の実施に係る事実上の裁量余地はありうるということです。また、その課題をなんとか克服したとしても、今度は有権者に対して「委任外の事件について職業政治家に代わって意思決定を行う義務」が生じることになります。
職業政治家(職業政治家がきちんと勉強しているのかという批判はあるかと思いますが、ここでは期待される役割と機能のこととします)と違って一般の有権者は意思決定そのものが仕事ではなく、任意投票制ではその仕事(権利)を放棄することが出来ます。しかしながら、命令的委任の考え方に拠れば、職業政治家に対する自由な投票を認めない以上有権者がその仕事(義務)を行う必要が出てきます。義務投票制にしたとしても、単に事務的に(しかたなく)投票する人が多くなることが予想されるため本旨に沿いません。
自由委任に基づく代議制や社会的代表の概念に基づけば、委任外の事件について有権者の選好に反した意思決定を政治家が行った場合には、落選させるないしは党派規模を縮小させることによって間接的に是正させることができます。よって、命令的委任の考え方が(幅広い階層の参政権が認められている)現代に沿わないと言えます。
その意味で、私個人としては、なめこさんの考え方とそれに基づく住民投票の考え方に反対させていただきます。但し、ここでいう「なめこさんの考え方」は私の愚察なので、ご趣旨に反する部分があればご指摘いただければ幸いです。
これだけだとただの自己満足になるので、なめこさんの提示された論点について私の考え方に立った意見を書きます。
住民投票により政治が身近になるのではないかという論点→単一の論点であれば意思形成が比較的容易になる場合もあるため、この場合はその通りになりうると思います。但し、論点が高度又は複雑な場合、選挙と同様に難しい・遠いものになると思います。更に言えば、住民投票に対して関心を抱く層というのは選挙に関心がある層とどれ程区別されうるのか(参画の伸び代がどれ程あるのか)が疑問です。
住民投票を行う上での問題・課題→先に挙げた通りです。
ハノイ
住民投票は代議制の欠陥を補える
最上議員への反論ですが、選挙制度が不適切であり、国民が不合理な選挙行動を取る(意思に反した行動をとっても投票する)という現状において、そうした欠点を補い、代議制の機能を補完するために住民投票には意味があると言えます。ですから真に適切な代議制においては、住民投票は必要がないと考えられます。
最上博士
非合理的な投票行動をどう捉えるか
ご意見ありがとうございます。選挙制度が不適切であるという認識は、衆議院・参議院・地方議会(都道府県議会・市区町村議会)のどの種別においてもその通りであることには同意します。
但し、「国民が不合理な投票行動を取る」「意思に反した行動をとっても投票する」(後者に関しては行為者が示されていないため、「自らが投票した議員」と解釈します)とちうことについては、私は否定的に考えません。自身の利益を最大化するために戦略投票を行うことは投票行動の分析において当然に検討されるべき事項であり、小選挙区制等多数代表制選挙においては前提として考えられているためです。
主権者(有権者)の利害を必ずしも代表しない/できないという代議制の構造上の欠陥を補うための住民投票制度という総論において同意しますが、その前提となる認識については同意できません(住民投票の前提に関する私の見解は先に述べた通りです)。
「真に適切な代議制」という点については、A.レイプハルトが示す(代議制)民主主義の多様な類系からわかる通りそれ自体が論争的であり、コンセンサス型モデルにおいてレファレンダムが代議制に組み込まれている以上、最後の断定については慎重に検討されるべきだと思います。
なめこ
よくよく考えたらこれだと条例を作れないのでは?
ハノイ
投票における委任の「幅」
「個別的な政策への賛否セット」ではなく「政治家(人間性、思想)」に対して投票を通じて委任しているんですよね。そうで無いと、次の選挙までに状況が変わる場合、条例とかあるいは選挙時点では想定されてなかった非常事態(コロナとか?)で対応できないんじゃないか。
なめこ
判断基準として個別の政策も多少関係はあると思ってます。
はわのふ
擬制としての委任
そもそも論ですが、「委任しているものとみなす」擬制である側面もあるのかもしれない…?
そこまで委任した覚えはない! ということはありがちかも。
ハノイ
政治家は中身より顔か?
「自身の利益を最大化するための戦略投票を行っていない」という意味で「不合理」と呼んでいるつもりだったりします。何が「自身の利益」かというところにも議論の余地があると思われますが、側から見たら「損」としか思えない候補に投票している、つまり肉屋を支持する豚という現象が見られるので。TPPと農家、みたいな話ですね。
それが起こっている背景としては、政策や思想ではなく、慣習や人間関係で投票してしまっていることが一因かと。
→「◯◯先生だから投票する(政策は知らない)」「顔がいい」「話したらいい人だった(性格)」
補強してくれそうな論文を探したけど、逆に
「殆ど合理的な投票者による完全に非合理な政治的選択」
村瀬英彰 著 · 2003
というのを見つけました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pcs1981/2003/40/2003_40_26/_pdf/-char/ja
美香紅茶
論文じゃなくて本ですが、イリヤ・ソミン『民主主義と政治的無知』にもその辺の話は割と詳しいですね。
私としては、むしろ、仮説的補償原理を満たすような政策に投票することをもって「合理的な投票行為」と見做すべきだと考えます。
なめこ
提出者から一言
委任にも限界があるのではないでしょうかという疑問点から、そういう意思決定と民意の乖離の解決策として住民投票を活用できないかと思ったんですが、煮詰まり気味…
ハノイ
住民投票は意思決定のブレーキだ
結局、方法による、という話に落ち着きそうですね。
全ての法律や条例を住民投票で決める必要はないので、「そこまで委任したつもりはない!」と思う国民や住民が一定数いた場合に、法律や条例の交付を差し止めて、住民投票に掛けることができる制度があると嬉しいかも。
はわのふ
問題点=騒動になってみないと委任外かどうか分からない
「政治への関心」以外で、議会の議案を住民投票に転化させやすくする仕組み(機序)があると良いのでしょうね。
最上博士
色々と議論が進んでいたので、更に私見を重ねさせてもらいます。
その前に前提の確認なのですが、ここでいう「委任外」というのは
①課題Aに対して政策Aを実施する(ことを推進する)ことを期待して投票したが、実際には政策Bを実施(することを推進)した
②選挙時に争点とならなかった課題C(それに対する政策Cがセットになる場合もある)を実施した
のふたつの場合を指すのかなと思うのですが、この点についてご指摘をいただければ幸いです。
はわのふ
そちらの2つで合っているかと思います。ただ、ここまでの審議では①はあまり論じられていない気がします(→地方自治の場合はリコール制度を使えば済むため?)ので、②に絞って論じていただいてもよいかもしれません。
最上博士
議会における利益調整を住民投票が補完できる
先の了解に基づいて、「委任外」の事件に対して、ここでは投票行動を含む議員の意思決定を住民投票等で拘束しうるのか、という点について私見を述べさせていただきたいと思います。
結論から言えば、私は否であると考えます。
立法(議決)機関(特に二元代表制を採る地方執政の議会)に期待される役割というのは、多種多様な利害対立を調整して可能な限り全体の利益になるように政策を形成することにあると考えるためです。
この審議室で主に想定されている「委任外」の事件の場合を例にとります。
議員Aが課題Aに対して政策Aを取ることを期待して議員Aに投票した人というのは、専ら政策Aによって利益を得られることを想定して投票していると想定できます(そのため、ここではこうした投票者群のことを有権者Aとします)。
無論、ハノイのおしゃぶりさんが仰った通り、個人間の繋がり等を理由に自信に不利益な投票行動を行う人も想定され得ますが、それはおくとして、しかしながら、政策Aは有権者Aにとって利益があっても、別の有権者グループ(有権者B、有権者C、....と仮定します)の不利益になる場合が高い確率で想定されます。特に、「負担の分配」の時代と言われている現代では尚更です。
その場合、議員Aには、単に有権者Aの利益だけではなく有権者B、有権者C、....等を含む各利害関係者(以下、「有権者n」とする)の利益を最大限にしつつ、損害を最小限にするという役割が期待されるべきです。
この場合、有権者Bに委任を受けた議員B、有権者Cに委任を受けた議員C、....(以下、総体として「各議員」、各有権者nに個別対応させる場合「議員n」)と調整・妥協が求められ、場合によっては政策Aを修正・撤回する可能性があります。そうした政策形成過程によって生まれた政策Xは、政策Aと比べて有権者Aに利益を齎さない可能性はありますが、各利害関係者の利害の調整の結果、全体としては利する場合があります。
もし仮に「委任外」の事件について有権者nが議員nを拘束できる(住民投票によって意思決定を法的もしくは政治的に規定できる)とすると、議員nの意思決定は、「全体の最善の利益の模索」ではなく、「有権者nの利益の追求」に限定せざるを得なくなり、結果として前者の実現の妨げになり得えます。
そうした制度的な個別利益の追求の結果、立法(議決)機関が「多種多様な利害対立を調整して可能な限り全体の利益になるように政策を形成すること」という本来の役割を果たせなくなった場合、有権者nを含む有権者全体が立法(議決)機関を信頼しなくなることが考えられます。
(余談ではありますが、そうした意思決定の拘束を排除するため、日本国憲法第51条によって国会議員は原理的に院内活動の自由が保障されていると考えられると思います)
そのため、原則として議員の意思決定は、選挙を通じた議員の意思決定能力や総論的な政策選好(所属党派を含む)の評価・委任を除いて拘束することは望ましくないと考えます。
そのため私は、「議員の職権の及ぶ範囲を超えた範囲で同一の事件について同一の決定を下すことが望ましい場合」「こうした自由委任に基づく議員の意思決定が、直接的な住民の意思表明を無しに行えなくなる程に硬直した場合」に限り住民投票が代議制と両立し得ると考えています。
「議員の職権の及ぶ範囲を超えた〜」場合についても、各自治体の代表者による協議(例えば一部事務組合の議会や、個別事件に際しての協議会等)が先に行われることが望ましいとは思います。
補足に補足を重ねますが、SNTVを採用する現在の地方議会議員選挙制度では先述した「地区主義」の弊害が尚更出てしまうと考えるため、個人的には選挙制度改革の実施は必要だと思います。
この場合についても、住民の個別利益を表出し、かつその調整を行うことの出来る議員を選出する選挙制度が模索されるべきだとは思います。
最上博士
有権者の合理的な投票行動については本旨からやや逸れてしまうため、一旦住民投票についての議論に戻したいと思います。
住民投票等による委任外の事件に対する議員の意思決定の拘束について私の意見を述べさせていただきましたが、私論に対してご意見等ございませんか?
はわのふ
住民投票の悪影響と限界
ありがとうございます。いわば「住民投票が議会(の行動とその結果)に与える不適切な影響」について、改めてご指摘いただいた形となりますかね。
利害関係者にとって適切な判断と「全体」にとって適切な判断とを分けるというのは、住民投票の良しあしを考える上で重要だと思います。論点先取を含んだ感想ですが。
ここまでの議論は、
というあたりにざっくり要約できるのかと思いますが、いかがでしょうか?全体的に、良い(良いとは?)面があまり出てこないか、出てきても「他の仕組みでも(のほうが)うまく担えるよね」という方向に回収できているようにみえますが、はたして……
ウンゲルン
や、今回もすごいまとめですね。はわのふさんの法案のレジュメが懐かしいですが、今の「まとめ」もその頃の技術かな?
はわのふ
ある程度はそうかもですね。レジュメ作成は、思えばそれなりに大変ではありましたね…限られた時間と気力で「それっぽさ」「実用」「法案本体との内容一致」「余計なことを書かない」を最低限クリアするゲームみたいなところがあり。
ちょろけん
レクのために残業残業の日々を送るはわのふ概念…
ということで、三本締めと参ります。ご唱和ください!
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