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番外編 節分の夜に

今日は、124年ぶりに2月2日の節分の日

小学生時代から、なぜか節分の豆が好物。あればポリポリかじってしまう。

「歳の数だけ食べる」と言われても、そりゃもう、多分、その数十倍は食べていたように思う。豆まきが始まる前から食べ、まいては食べ・拾っては食べ、次の日も食べ、売れ残っていたものも買ってもらって食べていた。

今は、歳の数十倍は絶対無理で、2倍ぐらいが適量…それでも、あの頃食べていたお豆の数より多いはず。今は個別パックになっているものもあるので、それを何パックまでと決めて食べている。

そして、お豆をポリポリ食べながら節分になると思い出すことがある。


我が家は父は山口出身広島育ち・母は広島出身広島育ちだが、父の仕事の関係で私は生後から結婚するまで和歌山で育った。なので、娘3人は関西弁だが、母は広島弁・父は東京での学生時代が長く、標準語が抜けずにそのまま使い続けるという環境で育っていた。

今から30年以上も前は、まだ『恵方巻』は全国的にはメジャーな食べ物ではなかった。ただ、関西地方ではすでに「お寿司の丸かぶり」文化があったようだ。その頃は、購入した巻き寿司で行うのはなく、家で作る巻き寿司でするのが主流。なので、我が家は「節分=お寿司の丸かぶりをする」ことを知らないままでいた。

女子高1年の家庭科の時間のこと。授業の途中で先生が、

「そういえば、今日は、節分ね。 ねぇ、○○さん家は、お寿司まく?」と一番前の席に座っていた私に聞いたのだ。

「お寿司……まく???」


その瞬間、私の脳内では、「鬼は~外! 福は~内!!」の声にあわせ、豆の代わりに、輪切りになった巻きずしが、畳の上に盛大にまかれていた。

宙に舞う巻きお寿司たち……

『そんな、もったいないこと!!』と、とっさに思い、

「ううん、豆まく!!」と大声で答えた。


一瞬静かになり、直後、みんなの大きな笑い声が後ろから聞こえてきた。

「え!?」と思っても、みんながなぜ笑っているのか訳が分からなかった。キョロキョロしていると、隣の子が、「巻き寿司を作るってことよ~」と笑いながら教えてくれた。前を見ると、先生は涙を流しながら笑っていた。

その当時、我が家では「巻き寿司を作る」と言っていたが、「寿司をまく」とは使っていなかった。どうやら、和歌山では「寿司を巻く=巻き寿司を作る」だったらしい。

しかも、両親ともに関西出身でなかったため、節分=豆・ひいらぎ・いわしは知っていたが、「寿司の丸かぶり」という文化は頭になかった…。


時、すでに遅し…。 

「巻く」と「撒く」:同音異義語のワナにまんまとかかる・・・。


しかも、一人でヒッソリとワナに落ちただけでなく、輪切りになったお寿司が空を舞う空想をしていたことが、みんなにバレた瞬間だった。思いもかけないところから、自分の脳内をダダもれ披露させたことが恥ずかしくて恥ずかしくて……『赤面』という言葉を身をもって知った瞬間でもあった。



実は、こういう言葉の誤り・取り違えは私はよくあり、友人たちは免疫ができていた。なので、その時も、大笑いしながらも、『そう考えても不思議じゃない』と思ったらしい。だから、今でも「らしいエピソード」で終わっている。私も、数限りなくあるポンコツエピソードの1つと思っている。


ただ、節分の夜になると、返事をした瞬間の先生の豆鉄砲をくらったような表情と、友人たちの笑い声と、盛大に撒かれる巻き寿司の絵が浮かびあがってくる。そこに鬼は出てこない。まさに、『笑門来福』の映像だ。






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