無題

懐かしいコンテンツをNETFLIXで観る:#西の魔女が死んだ(2008年)

懐かしい。地元の高校時代からの友人の誕生日プレゼントにDVDを贈った。梨木香歩の原作本は今でも持っている。

以下ネタバレというかあらすじ全般。あらすじ知ってても大丈夫だけど。

登校拒否になった中学生が英国人祖母の家で魔女修行と称して、大自然の元で暮らす。かわいい洋式のお家で、ジャムを作ったり、サンドウィッチを作ったりハーブティーを作ったり。自分のことは自分で決めることを唯一の掟にして、祖母とのひと夏を過ごしていく。

そうしているうちに、少女は自分の傷を癒し強さを取り戻して都会に戻っていく。原作を読んだ時にそういう物語だと感じていた。多分間違ってない。

でも今、割と歳を重ねて親目線でこの映画を観て、全然違う感想を持ってしまった。

「まい、おばあちゃんに冷酷すぎんか?」

この作品にはゲンジさんという近所の中年独身男性が出てくる。映画だと木村祐一さんだ(配役の妙)。おばあちゃんのお家が、まるで赤毛のアンの物語のような世界観にあって、本当は日本の地方集落のおそらく集落の外れに作られた家であるということを象徴する役回りだ。

主人公まいはおばあちゃんのお家を結界の中のように感じている。綺麗で好きなものしかない世界。自分を傷つけるものはなに一つ存在しない結界。

ゲンジさんの家やゲンジさんは、粗暴で不潔な存在に描かれる。まいはそれが許せない。自分の結界内に侵入するあの嫌らしい生き物を排除するようにおばあちゃんに詰め寄る。おばあちゃんがゲンジさんをかばう姿勢を見せることでまいとおばあちゃんの関係に亀裂が入る。

でも、このお家日本の田舎の集落の外れに作られた家だ。住んでいるのは英国の老婦人一人。きっと一人では不便なことも多いだろう。宅配システムとかなさそうだし。ゲンジさんの家はおばあちゃんの家に向かう入り口に存在する。ゲンジさんはおばあちゃんの家の細かい修繕だったり、集落との橋渡しもしてくれているのだ。

おじいちゃんも亡くなって、おばあちゃんは一人で、ゲンジさんが果たしている役割はきっと無視できないはずだ。(実際に亡くなったおばあちゃんを発見したのはゲンジさんだった)自分の土地とゲンジさんの土地の境界線を越えて収穫をしたり、飼い犬がおばあちゃんの鶏を襲ったりのちょっとした不利益を被ることは、ゲンジさんにお世話になることと相殺されているのではと思ったのだ。

まいは、少女の持つ特有の潔癖さでおばあちゃんを追い詰める。彼を排除せよ、と。そしてそれが叶わないと自分より彼を大切にするのかと全身で訴える。雷雨の中山を歩いたりしておばあちゃんを心配させる。自分を大切にしない行動をとり、それをおばあちゃんに見せつける。そしてそのまま関係は修復されずに短い夏は終わるのだ。

うわー厄介、と思った。何が相手に一番ダメージを与えられるのかわかっている。女の子難しい。女子中学生こわい。

結局、この時のわだかまりが解消されずにおばあちゃんは亡くなってしまう。まいも一応後悔していたとはなっているが、日々の生活の中でおばあちゃんのことは思い出さないようにしていたのか、結局おばあちゃんの元には一度も訪ねなかった。(一応気軽に行けない距離に引っ越したという事情がある)ラストでおばあちゃんの魔法によってそれが解消されることにはなるのだが。

10年前原作読んだ時とは全く感想が違ったのでとても面白かった。もしかすると10年前に全く読解力がなかったのかもしれない。赤毛のアンとか魔法とかファンタジー的なイメージが強かったのでちょっと肝が冷えました。

因みに原作文庫版に収録されている後日談「渡りの一日」という作品がとてもよい。まいちゃん、女子高校生になるととてもいい感じになっている。友達とサシバの渡りを見に行くってなんですか。素敵すぎるだろ。








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