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技術を越えたところで音楽したい

僕はギターを30年ほど弾いている。

アコギの弾き語り活動も15年は越えたかな。

元々「バカテク」といわれるジャンル(メタル、ハードロック、プログレ等)が好きだったこともあり、どうかすると技術寄りの音楽をやろうとしてしまう。

しかし、それは僕の音楽に求められていることじゃないんだ。

技術は無いよりはあったほうが良い

ギターなどの楽器の技術、歌う技術は無いよりはあったほうが良い場合が多い。

技術があると演奏に余裕が出る。だけど、僕の音楽を楽しみにしてくれる人たちが圧倒的な技術を求めているか?といえば、見ているのは違う部分みたいだ。

楽曲の雰囲気であったり、歌詞、声、トークなどなど。意外とギターの音色がどうのとか、ギターのテクニックがどうのといった話にはならない。むしろ、「いいギターとか、テクニックがどれほどすごいかはよくわからない」と言われることの方が多い。

これってすごく大事で、僕には世界に通用するほどの技術は求められていないってこと。戦場を間違えると伸びるものも伸びないよね。

求められていないことを追求してしまうと、いつしかお客さんに提供できる価値がブレてしまうと思う。技術は、自信を持って演奏できるレべル持っていれば十分かな。

その「自信を持って演奏できるレベル」って割と高いので、結局ある程度技術は必要ってことになる。技術の追求は面白いしね^^

結局「やりたいことと、求められていることのバランス」を見ていかないと、届けたいところに届けられなくなってしまうのかな。

難しいことができたほうがいいと思い込みがち

僕は、ギターを始めたころから「技術が高い方がミュージシャン/アーティストとして格が高い」と思い込んでいた。

でも、「表現する」ことにはいろんなアプローチの方法があるわけで、テクニックを越えた部分でも勝負できると、もっと音楽が好きになれるんだろうなと思う。

ケイティー・メルアの弾き語り動画を見ながらそう感じた。

ただギターを爪弾いているだけで、なんだか人生の紆余曲折まで染み込んでくるような演奏だ。僕は英語はわからないけど、言語を越えた感情が流れ込んできて胸が痛い。

テクニックを越えたところで音楽をしてるんだね。僕もこうなりたい。

聞いてくれた人の心を動かしたい。

楽器が上手いことにも感動するけど、なんというか・・・生きざまが音に表れているアーティストに感動することが増えたなぁ。

音楽で達成したいことが変わった

昔は、

・誰よりもうまく!
・誰よりもいい音で!!
・誰よりも売れる!!!

なんて野心みたいなものがあったけど、今はもっとこう・・・色気を出したいと思ってる。自分という人間味を楽曲や音に反映させたいというか。。。

楽器に対する向上心がしぼんで、自分の人生に求めるものが変わったんだろうな。

野心のようにギラギラしたものって、ある程度は大事。だけどそれだけでは息が詰まるんだよ。自分の野心に息が詰まるってのも変だけど。

「売れたら勝者で売れなかった敗者」みたいな二極論ではなくて、自分の音楽で何を達成したいのかを真剣に悩むようになった。

お金のためなら音楽は遠回り。ただ趣味でやるならライブなどやらないほうが安上がり。承認欲求を満たすためならもっと違う方法がたくさんあるだろう。

なぜ音楽を選んだのか、なぜ音楽に僕は選ばれたのか。音楽には無縁の人もいるのに不思議だな。

音楽ってプレイするだけでなく、人生の課題も与えてくれるから楽しいんだよね。苦しい・悔しい・難しいも全部ひっくるめて音楽の魅力。

感謝です。

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