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ライバルを気にしなくなった日

「プロミュージシャンになる!」

そんな思いで音楽活動をしていた20代。プロを目指すすべてのミュージシャンがライバルに見えていた。

人の活躍を素直に喜べず、「今に俺も!!」という気持ちよりジェラシーの方が大きかったように思う。

妬みやっかみがハングリー精神だと思ってた。上に行くには必要な感情なんだと。

でも今は、音楽を志すすべてのミュージシャン/アーティストの活躍を心から喜べるし積極的に応援したいと思うようになった。

僕に起こった感情の変化はなんだったんだろう。

僕には僕のステージがある

振り返れば、他人を妬む気持ちが消えたのは「プロ」という一つの目標に執着しなくなったのが起点だと思う。

当時の僕には音楽しかやりたいことがなかったし、音楽で食っていけないなら死んだ方がマシとも思った。

プロになるという目標がいつしか、「誰かの為に生きたい」と思い始めて、少しずつ少しずつ劣等感や他人をうらやむ気持ちが消えていった。

自分の気持ちや考え方が変わるって本当に不思議。他人に言われたくらいじゃ変わらないものだけど、自分で悩んだり考えたり体験するうちに、もっと「自分の幸せ」や「他人の幸せ」にフォーカスした人生を送りたいと強く思うようになった。

そして、「誰かの為に」は音楽じゃなくても達成できる。

そこに気づいてからは音楽を人生の軸としつつも、自分の「好き」や「得意」を活かして世の中に貢献していこうという腹が決まった。

ミュージシャンとして応援される側でもあり、困っている人を応援する側でもある、という人生だ。

力が抜けてからが本当のスタート

嫉妬心が抜けてからの方がいろいろなことが良い方に向かっている。もう若くは無いけど、今が本当のスタートだと思う。そして遅くない

ただ、ギラギラして嫉妬にまみれていたとしても、それを自分を成長させるエネルギーに変えられれば、あるいは成功すると思う。

作家の三島由紀夫だって嫉妬にまみれた人生だった。そして彼はその嫉妬心で成長し、世界に認められた。

嫉妬というエネルギーも使い方を誤らなければ人の成長を加速させる種になるんだな。

僕の場合は、チクチクと渦巻いた自分の中の嫉妬心をうまく消化できなかった。それこそが自分の器だったのだと今なら思える。

時間はかかったけど、嫉妬にまみれた人生より、人に応援されたり、応援したりする人生の方が僕にはあっているようだ。

心の変化を素直に受け入れる

僕の心に起こった変化[誰かの為に生きたい]は、最初は受け入れがたかった。”音楽がすべて”という生き方から、急に、「音楽じゃない生き方もある」となってしまったのだから、最初は人生に対する逃げだと思った。

20代のギラギラした心持のままなら到底自分の感情を否定したんだろうな。ヤンチャのやっちゃんだったから(笑)

年を取るって、案外素敵なことで、多様な生き方や考え方を受け入れられるようになる。というかならざるを得ない。世の中を変えるより、自分が変わっていった方が生きやすいからだ。

人生で苦労して、何事にも無関心になる人もいるけど、それは心を閉ざしてしまったんだな。僕は心を開放するほうに人生を進められた。きっと周りの環境が良かったんだろう。感謝だね。

自分の心の変化を素直に受け入れることで、人生の目標や生き方も随分変わってきた。もちろん音楽に対する姿勢や思想も変わった。自分から出てくるメロディは変わらなくても、音楽で成したいことが変わった。

自分を認めるのはまず自分なんだよね。

さいごに

結局僕に起こった変化は「幸せの在り処を見つけた」ということなんだろう。

音楽で食っていくことが自分の幸せだと信じて疑わなかった20代。そして少しずつ気持ちに変化が出てきた30代。もうすぐ突入する40代と。

変わることが必ずしも幸せではないかもしれない。でも変わる自分を受け入れ、今できる精一杯の生き方をすると、なんだか脱力して生きていけるよ。

けど、人生に対しては責任を持って突き詰めていかなきゃね。周りに流される生き方だけは、どうも受け入れられそうにないから。

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