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祝退職1日目

さて、退職して1日め
勤めていた会社の上司が、月末の最終日に辞めるより、1日前に辞めると
保険料が得と教えてくれて、その通りにした。

ので、2月28日退職(今年はうるう年)
今日29日は退職一日目

カメラマンでもあるが、会社員もしていた私
今年1月に営業部へ移動をした。
希望してね。

で、やってみた。
商品パンフもって、飛び込み営業+電話営業
何を売っていたか。
老人ホーム

老人ホームはいらんかねえ~~~~♪ではなく、
入居者様はどこだあ~~~である。

ちなみに、今なんでも仲介業者っていて、潰れそうや閉業した老人ホームを
仲介販売する業者さんも沢山いる。
まさに、老人ホーム買わんかね?の世界
デイサービス買わないかねえ~もある ほんと、世の中色々な仕事があるなって知った

で、

あたくしは、入居者様を探すがミッションであった

毎日てくてく歩いた

想像していなかった

紙って重たい・・・パンフレットが詰まったカバン
最初、肩掛け鞄で移動していた私
初日に首の筋を痛め、接骨院通い

リュックにしてみた。
亀さんの姿勢になってきた。
後ろに手を組み、赤ん坊を背負っている子守状態

腰も痛いわ・・・

季節は1月
今年は暖冬とはいえ冷える

半世紀以上経過した、あたくし。
長年の看護婦稼業で、ヘルニア、椎間変性、腰椎側弯、
変形性股関節症、頸椎ヘルニアと同居

足の筋と腰と首の筋痛い
接骨院通いが続く

老人ホームはいらんかねえ 入居したい方はいらっしゃいませんかねえ~
御用はございませんかねえ~~~

役所、地域包括支援センター、病院の相談室、開業医、訪問診療医
あちこちに回る

人と話をするのは大好きなので、飛び込みも苦にはならなかった。

が、同じ話を繰り返しする飛び込み営業


む、、、、むなしい・・・・・・・・・・

なんとか、楽しくなる方法はないか?
昼休みで入った喫茶店で試行錯誤する日々

が、が

途中で気が付いた

これ、夏もやるんだよね

今年超暖冬

という事は、夏が早いと想像


日本の夏は亜熱帯
かつて、遊びにいった、アマゾン地域と同じ亜熱帯
かつて、仕事で滞在した赤道直下キリバス共和国と同じ40度

死ねるかもしれない・・・

満身創痍だった、あたくし考えた

死にたくねえ・・・・・・・

人様の老後の生活に、安心と安全を売る老人ホームの
入居紹介業

その前に、自分の安心と安全を確保せねば

そう、安全と安心を確保する方法

それは、、、

た・い・しょ・く♡


「やってみたんですけれど、営業向かないと思うんです。」
2月17日に上司1に申し出た。ちょと時間をとなり1週間が過ぎた

動いたね急に
営業担当エリアの新規編成が行われる事になった。
2月25日にね。

退職を申し出ている人間をどうするか?あたしの事ね。

先輩からハッキリさせてもらいたいと言われた。
いや、あたくしは、もう超はっきりしていて、
退職日を決めるだけ~~~ので、
上司1からは、まだ具体的に返事なく、にて、
上司2に、私は2月末の退職で大丈夫ですよ(はーと)
と♪連絡。

ちょっと確認しますね~と、言われ待つ事1日
2月26日が来た。

翌朝再び、編成担当の先輩から、どうなりました?と。

いやいや、先輩焦りすぎ~~~と思うが、
みな営業成績出すに必死だから、次のエリア戦略必死

そう、営業をするに致命的だったのは

あたくしに、この必死さが、1滴も1ミリも1ミクロンも
湧かなかった。。。

で、急転直下、2月末の退職でOK!!の返事が来たあああ

めでたく2月28日退職決定

有給休暇消化させていただいても宜しいでしょうか?と聞くわたくし。

いいですよ~~~~~♪

そう、会社はホワイトなのよ。

2月26日は内勤していた。
その就業中に退職日決定の返事が来た。

さあああ!と、一機に就業2時間前から片付け。

とりあえず、近くの部署の人に挨拶。
そして、本社に退職書類書いて提出!

急転直下で、ハトが豆鉄砲みたいな顔をしていた
人達もいたが、みな、最後まで優しかった~~~

この会社に入って1年1か月。
実は営業部署で3つ目の移動。

全部、私の希望。

ただ、職種内容は希望した通りであったが、勤務地遠かった。

最初、家から30分の所に配属
で、当初からやりたい仕事があったので、それが出来るのが
片道2時間のところだった。通勤もたないかもなあ、
無理だろうなって思いながら異動してみた。
で、やはり無理にて、今度は通勤1時間半になる営業部署に異動。

わたくし、実はある種の仕事運が良い
というのは、やりたいと思った職種、分野はすべて経験出来てきた。
今回の会社でもそうだった。

経験に非常に価値を置く私。

仕事の神様ありがとうである。

仕事に対しての価値観は人それぞれ
履歴書的には、あまりの転職回数の多さに、どうよ、って思われる回数であるが(両手で足りないw)
それでも、勤め先はあり、そして、社員を大切にしてくれる会社に勤められてきた。

全てが思い通りになる仕事場はない。
でも、どこで何を優先して満足を得るかは、人それぞれ。

そして、年齢や自分の社会状況で、それらは変化する。

その変化を、自分が甘いとか、根性がないとか、将来困るかもとかいう気持ちで、抑え込んでも何も良い事はない。

たしかに、就職に困らない資格を、いくつか私は持っている。
だから転職がしやすいのは事実だ。

が、それを見越して、取った資格でもあった。
それを高校生の時に推測していた自分は、先見の明あるなと思った。
自分の性格をよくわかっていたね。高校生の私。

やった事がない事をやりたい。

なんで、ここまで、それにソソラレテしまうのか
そこはわからない。

その好奇心を満たす事で、安定、昇給、社会的信用は薄くなる。

ただ、私の人生はとても豊かだ。

「あなた将来困らないよ」

今、これを書いていて、そんな言葉が浮かんだ。

将来っていつまでを言うのだろう。

今・今・今を積み重ねると将来になる。

将来困るから、という考えがある。

将来って、困るの確実なんですか?

困るって何がですか?

人それぞれの人生

先はわからない。わかったら、それは人間の人生ではない。



18歳の時、看護師見習いで看護ヘルパーとして病院に勤めた。

衝撃だった。

人が年老いて、寝たきりになって、死にゆく過程。

そこには、尊厳が奪われているとしか、多感だった18歳の私には
思えない現実があった。

好きな事をしよう。

心底誓った。

それを誓わせてくれたのは、寝たきりになった先人の先輩たち。
患者さん達だった。

人の最後を目の前で見送った数がいつしか3桁を超えた時、
もういいだろう。という言葉が浮かんだ。

何がもうよかったのか、今でもわからないけれど、
その時、自分が仕事をするモチベーション、その視点が少し変わったのはわかった。

仕事は尊い

お金をいただけるだけではなく、多くの事を内面に芽吹かせてくれる。



 さあ、次はどこへ行こうか。


しばらくは、そんな事を考えて梅の花から桜の花の時期を過ごすだろう。



番外ですが、
このコロナウイルス騒動の時期に、退職出来て、都心を営業で回らないで済む状況に結果としてなった事。
これ、神計らいだなって思った。

もちろん、都心でなくたってリスクはある。

が、生き物は、常に常に何かと共存しようと戦っている。
目に見えない生き物たちは、空気中を舞っている。ひらひら~~~
あたしの白血球、免疫機能頑張っている。

それが生きる、生きているという事。

さあ、明日は何をしよう。
何を思うだろう。

そんな退職一日目。

㈱〇〇の皆さま、お世話になりました^^楽しい会社員生活でした。
ありがとうございました。

仕事の面白いってね、
深いんだよね。


ありがとうございます。魂からの言葉を写真にしてゆく糧にしたいと思います。