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淳一も春樹だった。
渡辺淳一といえば、学生の頃、「新釈・からだ事典」で解剖学を笑いながら学んだ記憶しかない。その他の出版本なんて読む時間がなかった。あれから10年経って「失楽園」がブームになっていた。時間もあったし、読んで見た。「なに〜これ〜。」ビックリした。
: 今の今まで気づいていなかった。彼って、、、。
医者だけど文才があって、面白い専門書を書く人って印象だったから、、、。ガッカリもしたけど、これだけブームになるのって、これに共感する人が沢山いるってこと?!
こんな事を思い出しながら、この本に、今、辿り着いた。「阿寒に果つ」加清純子の紹介文を読んで、納得した。彼も春樹だったんだ、、。だから、、、。
春樹の主人公は、精神を病んでる女性を愛した。勝手に逝ってしまった彼女を解き放つ事が出ない。泥沼にハマっている。。。
ナルシストと精神的な一体感を感じるのは無理。だから、関わった人たちは、性愛や情愛に問題を抱えてしまうのでは、、、と、エラソーにチョット思った。私は経験ないからワカンナイけど。
渡辺が純子との交際と彼女の死によって受けた影響は大きく、渡辺はこの影響により作品上で性や情愛を多く取り上げるようになった。
渡辺はその純子からの影響について、後に「わたしにとっては真剣すぎる恋であった。それまで硬派一筋だったわたしが軟派になったのは、まさしく彼女との恋がきっかけであった。」と語っている。
僕はその頃、文学志望というわけではなかった。純子との体験がなかったら、作家になっていなかったかもしれない。
常識を覆す芸術なるものと、女性の不可解さを教えられた。
彼女と付き合うことで、大人の別の世界を垣間見た、背伸びした喜びとともに、何か自分がどんどん外れて堕落していくような不安も感じていました。
そう、その頃流行ったジャンコクトーの「恐るべき子供たち」の一人になっていくような気がしたのです。
しかし、純子さんは当然のことながら動じる気配はありませんでした。
私以外の男性ともいろいろ付き合っていたようですが、私はそんな彼女を否定しながら、一方では憧れていました。
彼女からは酒やタバコだけでなく、異常なものの凄み、それが芸術なのだということを教えられた気がします。小説も、正常な中に異常さを秘めていないと読まれませんが、その原点は彼女に培われました。
ジャンコクトーの本の主人公ポールのような苦しみは、受けて欲しくない。