番外編:カードゲーム
薄暗い廊下に、確乎とした跫音が響く。点々と置かれたランプ形の燭台が、夜の帳を一層濃いものにしている。
サミュエルは、夜の警備を終え、近衛部隊の宿舎に戻っていた。交代要員を呼んだら、ゆっくりと風呂にでも浸かりたい。
きっと、エドワードは今頃、談話室にでもいるだろう。
サミュエルは、明かりの消えた共用キッチンを横切り、暗い廊下の奥へと進んだ。
案の定、談話室からは明かりが漏れている。賑々しい声が聞こえるから、きっと、誰かしらがまた、カードゲームにでも興じているのだろう。
サミュエルが談話室を覗き込むと、部屋の一角に、数名の人だかりが出来ている。テーブルを挟んで座っているのは、エドワードとウォルターだ。
エドワードは、カードを握りしめたまま、太い眉をハの字に下げている。いつものように、連敗記録を更新しているのだろう。
一方のウォルターは、チップの山を築き、上機嫌で細葉巻をふかしている。
「お、サミュエル君じゃないか。そんなところで見ていないで、君もこちらへ来たまえよ。」
「お疲れ様です、団長。」
サミュエルは、手招きするウォルターに軽く会釈をして、談話室に足を踏み入れた。
「エディ、お前も懲りないね。」
「俺だけ、まだ一回も団長に勝ったことないから……。」
エドワードは、心底悔しそうに、眉間に皺を寄せた。
「はは、エドワード君は、すぐここに出るからねえ。」
ウォルターは、紫の煙を吐き出しながら、とんとんと眉のあたりを指で叩いた。
「ほら、そろそろ仕事の時間だよ、エディ。ベンが現場で待っているから、バーニーを連れて行っておいで。」
サミュエルに促されて、エドワードは頷き一つを残して、足早に部屋を後にした。
「さて、次は誰の番かね?」
エドワードの背を見送って、ウォルターは、ぽんと手を叩いた。
涼やかな黒瞳は、好戦的な光を放っている。
誘いに乗って、空いた椅子に自ら腰掛けようとする者は、誰もいなかった。
ウォルターは、駆け引きもさることながら、カードの引きが異常なほどに強い。団員の中で一番良い勝負をしているサミュエルでさえ、一度も勝ち越したことがないほどだ。
「副団長、おれたちの敵、取ってください!」
「今日の団長、いつにも増して調子良いんですよ。今日、誰もまだ勝ってないんです!」
団員達は、すがるような熱い視線を、一斉にサミュエルに向けた。
「……分かったよ。」
サミュエルは、苦笑しながら頷くと、静かに席に着いた。
「サミュエル君か。楽しい勝負になりそうだ! ポーカーで構わないかね? あ、ジョーカーは無しだよ。」
ウォルターは、にっこりと微笑むと、慣れた手つきでカードを切り始めた。
「ええ。構いません。」
「では、最初のディーラーを決めようじゃないか。」
ウォルターは、束ねたカードを、机の真ん中へ押しやった。
「……ハートのクイーンです。」
「ふむ、良い引きだね。では……。」
ウォルターは、サミュエルが引いたカードを見て満足げに頷くと、カードの山に手を伸ばす。
「おっと。悪いな、サミュエル君。……スペードのエースだ。」
ウォルターは、手元の札を見て口の端を上げると、くるりと手首を返した。
「さすが団長。では、よろしくお願い致します。」
この引きの良さで、一切イカサマをしていないのだから恐れ入る。
サミュエルは小さく頭を下げると、参加料を置いて、手札を確認した。
初手でツーペアが揃っていれば、十分引きが良いと言える。
ただし、相手がウォルター・ボールドウィンでなければ、だ。
「まずは準備運動かな。」
ウォルターは、自分の手札を眺めながら、一枚チップを弾いた。
サミュエルも、場に一枚チップを置く。
「私は二枚交換するが、サミュエル君はどうするかね?」
「では、この一枚を交換願います。」
サミュエルは、手札から一枚引き抜くと、カードを場に伏せた。
おそらく、ウォルターの狙いはフォーカードかフルハウスだろう。手元のカードは、既にスリーカードを揃えていると見ていい。
そして、向こうもとうに、こちらの手の内は察しているはずだ。
「レイズ、二十枚。」
「コール。」
降りてしまってもいいくらいだが、最初から逃げを打ってもつまらない。
サミュエルは、あえてチップを前に押し出した。
「では、勝負だ、サミュエル君。」
ウォルターの言葉と同時に、二人の手札が開かれる。
サミュエルは、クイーンと6のツーペアだ。
「――フルハウス。やはり今日の女神は、ご機嫌のようだ。」
ジャックとエースで揃えられたカードに、サミュエルは思わず唾を飲む。
ウォルターは、うっとりと目を弧にすると、細葉巻に火をつけた。口笛を吹くように吐き出された紫煙は、渦を巻いて虚空に溶けていく。
やはり、皆の言うことは正しかった。今日のウォルターは、いつも以上に運が良い。
ウォルターの豪運を前に、サミュエルは何度も苦戦を強いられた。
途中、同役対決に持ち込むなど、惜しいところまでいった勝負もあったが、今日は、まだ一度も勝てていない。四連敗を喫してしまったのは、いくらウォルターが相手とはいえ、初めてのことだ。
ウォルターは、持ち前の引きの良さだけではなく、カードゲームに熟達している。ブラフをかけて揺さぶろうが、彼は、意にも介さない。ただ、いつも通りの余裕のある笑みを浮かべ、紫煙を燻らせているだけだ。
「ここでやめるなんて言わないだろう、サミュエル君。」
ウォルターは、咥え煙草でカードを切りながら、楽しそうに眉を跳ね上げた。
「勿論ですとも。次は、勝たせて頂きます。」
どんなに負けがこんでいても、勝つつもりで挑まなければ意味がない。
「いいねえ! それでこそだ!」
参加料を払ったサミュエルに、ウォルターは嬉しそうにカードを配り始めた。
チップの残り枚数からして、これがラストゲームになるだろう。
サミュエルは、深呼吸をひとつして、カードを手に取った。
配られた手札は、クイーンのスリーカード。ここに来て、幸運が巡ってきたようだ。
「ベット。そうだな、十枚というところかな。」
「コール。ドロー前ですから、手堅く行かせて頂きます。」
サミュエルは、チップを場に押しやると、今一度手札を眺めた。
「私は、一枚交換するとしよう。サミュエル君は?」
「……こちらの二枚を。」
サミュエルは、二枚のカードを伏せたまま、カードを場に置いた。
胸の鼓動は、うるさいくらいに早鐘を打っていた。
サミュエルは、それを気取られぬように、静かに配られたカードを捲った。
並んでいたのは、ハートのクイーンと、スペードのジャックだった。同役にもつれ込まなければ、勝算は十二分にある。
「ベット。もう十枚いこうか。」
ウォルターは、重ねたチップをずいと場に押しやった。
涼やかな双眸は、手の内を伺うように鋭い光を宿している。
「レイズ。二十枚。」
「ふむ。では、レイズ。三十枚追加しよう。」
ウォルターも、狙い通りの手を揃えているとみて良い。
この人に限っては、弱い手を引いてブラフをかけてくるなんてことは、ロイヤルフラッシュを決めるよりも起こりえないことだからだ。
「レイズ。……残り全部賭けます。」
サミュエルは、眉一つ動かさず、手元のチップを全て場に積み上げた。
「おお、やるねえ! コール。では、お手並み拝見と行こうじゃないか。」
ウォルターは、嬉々としてチップを場に出すと、滑らかな手つきでカードを広げた。
「キングとエースのフルハウスだ。さて、サミュエル君。どうかな?」
ウォルターは、天井に向けて紫煙を吐き出すと、頬杖をついてこちらをじっと見つめてきた。
「勝たせて頂きます、と申し上げましたよね?」
サミュエルは、相好を崩すと、堂々とカードを場に開いた。
「クイーンのフォーカードか! しかもキッカーはスペードのジャックと来る。はは! これは、私の完敗だねえ!」
ウォルターは、手を打ち鳴らしながら、呵々と笑い声を上げた。負けたというのに上機嫌で、涼やかな黒瞳を少年のように輝かせている。
「やった! さすが副団長!」
「副団長なら、敵取ってくれると信じてました!」
沈みがちだったギャラリーも、サミュエルの快勝に大げさなほどの喝采を送る。
「ありがとう。なんとか勝てて、正直ほっとしているよ。」
サミュエルは、歓声に微笑みを返した。
なんだか、肩の荷が下りたような気分だ。
「さすが女王の騎士だな、サミュエル君! さて、私は気分が良いので帰るとするよ。」
ウォルターは立ち上がると、大きな掌で、サミュエルの背を叩いた。
「妻に、会いたくなってしまったからね。」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?