希望について

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昨晩、ランニングをした。

 いつだったか、授業で哲学対話をやったとき、ある文脈で「希望」というコトバが出た。
 「希望」なんて、なんだか陳腐で月並みな気がして、口に出すのも恥ずかしい、というように感じた。
 だが、ある社会状況のなかに生まれ落ちて、その社会状況のなかでは、明日の自分を、今日よりもよりよいものだと夢見ることが、絶対できないなら、それは希望がないことだろうと思う。明日ってものがあって、それを少しでも自分で動かせる、っていうことがないなら、それは相当ツラいものではないだろうか。私たちは、なんとなく、今日よりも明日のほうが、よりよいかもしれないと、あるいはそういう可能性がまったくないことはないと、思っているのではないか。
 と、このように想像してみて、これはよく分かると思った。
 父親が新聞を読まなくなったり、小難しいテレビを観たくなくなっているのを見て感じたことを思い出した。
 父親が死ぬ少し前、時間があって、幾日か一緒にいた。大腸ガンのステージⅣで、もう医者もやることがなく、父親は家にいた。私は人に言われて、休みだったこともあり実家に帰った。30年以上一緒に暮らしていなかったのだから、話すこともない。病気のことをネタにするわけにもゆかない。
 することがないので、昨日の夕刊と今日の朝刊が一緒に来る誰もめくらない『静岡新聞』を読んでみたり、通った中学校にわざわざ遠回りして行ってみたりした。家に戻ると父親はテレビを見ている。一緒にテレビでも観ながら、会話になるような接ぎ穂を捕まえられればとも思った。社会問題かなにかを扱っているNHKが映っていた。父親は言った。「こんな難しい話し、もういいよ。」私は、ヤル気を失っている父親がダメなヤツに思えた。しかし、その後すぐ、その認識を撤回した。
 彼は、もう死ぬので、これから起こることにはあまり関心がないのだ。私たちが、世の中のことに興味をもつのは、明日があるからだ。明日が、いずれ来なくなってしまう者にとって、世の中はどうでもよい。そう思ってみると、周囲のあらかたのものが「明日が来る」という素朴な前提の下に、成り立っていることが分かる。明日が来ることが不確実になったら、モノとモノとを結びつけている一切のたががゆるみ始めるのではないか。
 父親は、それから2ヶ月後くらいに亡くなった。
 同じことが自分にも襲った。こんどは自分がガンになったときだ。ステージ1Aだとはいえ、小細胞ガンだ。自分の死が、日程にあがっている。悪夢を見たり、子どもの前で泣いたりしたが、手術ができて、落ち着いてきて、抗がん剤治療をしていたとき、ひとつのことに気づいた。
 予定が立たない、約束ができないのである。半年後の予定を立て約束をするためには、半年後に生きていなければならない。しかしそうなるかどうか分からないのだから、約束ができない。ふわふわしている。ただ、そのふわふわの底の方には死の恐怖がある。それもこれも、明日があるかどうか分からないからだ。
 明日が来るってことは、大事だ。難しく言い換えてみよう。
 明日の存在に対する「原信憑」、とでもしようか。この原信憑があるから、この世界が成り立っている。飲みに行けるのも、文章を書く気が起きるのも明日があるからだ。
 これに、まったく疑いをもたない人を、「不死身の人」と呼ぶことにしている。不死身の人は、若い人に多い。私はもう若くないね。

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