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#3 structural violence(構造的な差別や暴力)とrank and privilege(ランクと特権)


日本を舞台に、urban permaculture という活動をしているソーヤ海君という人物がいる。

私は彼の活動や考え方がとても好きで、メールマガジンを拝読している。数日前の話題がこの「structural violenceとrank and privilege」についてだった。まさに今考えていた事とリンクしていたので、今日はこのテーマを自分なりに考え言葉にしてみたいと思う。


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さて、最近の日本は徐々に自粛が緩和され、世の中半分くらいがノーマルモードに向けて動き出しているように感じる。

私は個人的に自粛継続!という事でもなく、、ただ無職になって1か月経とうとしているけれど未だ離職票が届かないので、まぁ離職票が届くまでは〜・・と、完全自粛モードと変わらない日々を送っている。

おひとりさまなので誰にも頼る事はできない反面、誰かを扶養する責任がないというのは気楽だ。失業手当て、特別給付金、住宅補助、年金の減額申請...色々調べてみると贅沢さえしなければしばらく過ごしていける制度が日本にはたくさんある事に気付く。

お金の不安が全くないと言うと嘘になるが、こういった状況にある私は今、果たして底辺なのだろうか?


■超ハードモードから無職へ■

さて、今回のテーマを考える上で私自身の今まで働いてきた環境を語ることは、必要不可欠な気がしてきた。ここで一旦私の過去について少しお付き合い頂きたい。

この5月に無職になるまで、私はタイで孤児院を運営する非営利団体で足掛け8年働いてきた。この仕事をライフワークにしたいと思うほど、たくさんの出会いや新しい経験にワクワクしながら、無我夢中で働いた。

労務体制的には限りなくグレー(一般企業と比較すると、、まぁブラックと言わざるを得ないような)、でもそれを受け入れるのも変えるのも自分自身だと思っていたし、それができる環境(よく言えば自由度が高く、言い方を変えると放任と言ったところか)でもあった。

もちろん、無理がたたって何度も体を壊したし、お給料は大卒で働いた22才の時よりも低賃金、ボランティアの3大原則と言われる「時間とお金と心」を最大限に奉仕してるよなー・・と遠い目になったりもしつつ、でもそれ以上に得られる仕事のやりがい(支援をする自分たちと支援される側がwin-winの関係)や、一緒に働く人・ものたちに魅力を感じながら今までのどんな仕事よりも楽しく働く事ができた。

それほど愛していた仕事なのになぜ?と聞かれると自分でもよく分からない。でも、無職になった今、私は未練も後悔もなくなんだかとてもスッキリしている。おそらく311を経験した後、それまで10年働いた利益追加型の会社を辞めた時のように、私は今また、これまでの固定概念を取り払うタイミングにいるのだろうと思っている。

先行きは全く見えないし、年老いた両親の心配事を増やす事にも些か申し訳なさを感じる。でもとりあえず、明日食べるお金に困るとか、家賃が払えなくて家を追い出された、なんて状況にはなっていない。今のところ。

根拠のない希望を持っているわけではないけれど、こうも楽観的でいられるのはこの10年間で少しずつ、「お金のあるないは幸せと直結しない」と思うようになったからかもしれない。

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■幸せのハードルって?■

「幸せのハードルは低いほど生きやすい。」

これは、私が働いていた団体の創設者がいつも言っていた言葉で、彼女は日本の中でもトップクラスと言える資産家家系に生まれ、戦後日本を波乱万丈に生きた上で最終的に50を過ぎて団体を創設。その後20年間無賃金のまま、むしろ自身の財産を注ぎ込むような形で運営を行ってきた。その事実が、この言葉に軽やかさと重みを与える。

NPOで働いた事により、私は普段の生活では出会う事のないお金持ちに出会ってきた。何度も「こんな世界があるのね、、」と驚愕したし、こういった日本経済・政治のトップとも言える桁違いの階層は、基本的に不変。親から子へ代々受け継がれていく。そういう仕組みになっていると分かった。「生まれながらにしてお金持ち」ってこういう事なのかと。

一方で、20年低迷し続ける日本経済下、自分の思っていた以上に貧困家庭が多い事も知った。この貧困層に関しては必ずしも不変ではないが、努力による変化が難しい上、政治や時代背景の大きな影響を受ける。これもまたある意味、そういう仕組みになっている。

ちなみに、タイ国における貧富の差は日本の比ではない。お金持ちは日本のお金持ちとは比べものにならないほどお金持ちだし(これほんとに、びっくりするくらいのお金持ちです。。)、貧困層のレベルもまた、日本の比ではない。そしてその要因をのぞいてみると、やはり「そういう仕組み」になっている事が分かる。(ちなみに日本の労働生産性は先進国最下位を維持し続けているというのに、タイの話しをすると未だ経済大国日本という日本優位思想を持ってる人が多い事に本当にびっくりする。。)

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(バンコク・チャオプラヤー川沿いにそびえ立つ商業施設「アイコンサイアム」)


そのような現状を目の当たりにする中で、私は常に「自分自身の幸せのハードル」は今どこにあるのかを意識するようになった。

上を見ればきりがない。逆に下をみてもきりがない。


■全ては神の意志。InshAllah■

アフリカンダンスを通じて西アフリカの人々と出会った事もまた、自分の価値観を大きく変えた要因の一つと言える。

近年インターネットと携帯電話の普及により急速に変化するアフリカ経済。アフリカの中でも地域によってかなりの差があると思うが、総じて加速度的に貧富の差が広がっている。人々の多くは貯蓄の概念を持っておらず、今日、明日食べる為に今を生きている。

当然医療におけるサービスの質や安全性の確保に関しても大きな課題を抱えている。日本のように医療保険制度があるわけでもなく、身近に医療施設・設備がない事も多い。妊娠・出産時の死亡率も非常に高い。そもそも医療費が高すぎて一般の人々にとっては頼る事が出来ないのが現実。

私の知る西アフリカでは、結局、多くの人が村に古くから伝わる呪術(土着のまじないのようなもの)に頼るしかないのが現実。若く健康的に見えても、簡単な病気やケガが重大な要因になって、突然亡くなってしまう事も多い。私自身もこれまで何人もの友人やその家族を見送った。日本にいたら助かったのかもしれない。。素晴らしいアーティスト、もう一度レッスンを受けたいと思っていた先生を失う度に、深い悲しみとなんとも言えない気持ちが心の中に渦巻く。


そしてそんな中発生した今回のコロナ問題。アフリカにおける影響は実際の感染・死亡者数以上の問題を抱えていると言える。

ヨーロッパに近く国交も盛んなアフリカにとって、医療体制が脆弱な事、また劣悪な衛生環境を考えると、一旦感染が始まると歯止めがきかない。エボラの教訓などもあり、アフリカ各国で早い段階のロックダウン体制がしかれ、人々の生活に対する厳しい行動規制も行われた。

ちなみに、アフリカ人の陽気な気質上、規制と言ってもゆるいんじゃない?と思われる方もいるかもしれないが、アフリカの警察や軍隊は日本とは全く違う。罰金も厳しいし、下手な事は出来ない。常にライフル銃を肩に下げた軍人がお金を取る口実を探して幅をきかせている。(私自身、何もしてなくてもお金を出すよう要求された事が何度もある・・)行動するなと言われれば、それに従うしかない。

日々、今日食べるために働いている彼らが働けない状況になった事を想像してみて欲しい。日本やその他の先進国のように、政府が国民に給付を行う体力なんてない。国は国民に何の補償もしてくれない。そんな事はお構いなしに全ての活動停止を命じる。人々は無一文のまま、ただひたすらその状況を受け入れるしかない。

そしてそのまま突入したラマダン(イスラム教の義務の一つ。約1ヶ月間、日の出から日没まで飲食を断つ他、あらゆる禁欲を課すもの。2020年は4/26〜5/26の間に行われた)。

「かつてこれほどまでに厳しいラマダンがあっただろうか。。僕は初めて経験する。」

そう語ってくれた友人の1人は、本来であれば日没以降行っても良いとされる飲食も、金銭的理由から全く口にするものが得られず、家賃を払えない事からオーナーにひどい体罰を受け、10針も縫う事態になった。日本であれば考えられない話だし、個人の管理能力の問題だろうと言う人もいるかもしれない。でも、全体で30%ほどしか銀行口座を持たないアフリカにおいて、日本の感覚は通用しない。一部の権利者を除くその他大勢は、必死に毎日働いてその環境なのだ。

ちなみに10針も縫うケガを負わされても、保険もなければ国や警察の保護なんてものがあるわけではなく、この彼は結局医療費や家賃を払えるようになるまで軟禁状態にさせられてしまっていたと私は後になってから知らされた。

それまで時折彼から届いていた「元気でやってますか?」「コロナの状況はどう?」「また一緒に踊りたいね」「今なにしてるの?」のメッセージに対し、能天気に「今ご飯を作って食べていたよー」なんてレスをしていた自分の想像力の無さに泣けてくる。


でも、そんな風にいつも死と隣り合わせで生きる彼らだからこそ今を精一杯生きるパワーに溢れている。

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InshAllah=全ては神の意志。         僕らは毎日、今日生きている事に感謝する。輝くように今を精一杯生きるんだ。


私は、そんな彼ら彼女たちを眩しく思うと同時に、同じ時代に生まれながら持って生まれた環境が人生を左右するという現実に、答えの出ない感情を抱かずにはいられない。


■構造的差別、ランクと特権■

さて、話しを大きく冒頭に戻す。。ここまで長々と語ったのはこの「構造的差別、ランクと特権」について話すためなのだが、つまりは何が言いたいのかと言うと、自分の価値観や基準で、事柄を考えるのではなく、あらゆる事において、まだ知らない世界に全く別次元の価値基準が存在する、まずはそれを知る事が大切だという事。

タイやアフリカなど、あまり身近ではない話題を出した事でリアリティがなくなってしまった人もいるかもしれないが、でも、広い視点でもの事をとらえると確実に見える世界は変わる。実際私は、世界に友達が出来た事で確実に色々な価値観が変わった。私はもっと多くの人が、より自分事としてもの事を考える世の中になって欲しい。視点が変わると、今回のblack_lives_matterのような遠い海の向こうの出来事が、途端に自分事になってくる。そして、その構造は規模を変え、日本・・自分の身の回りにも存在する事にも気付く。そのためにも、様々な人と出会い、様々な環境を知る機会を一つでも多く届けたい・・と思う。


⚫︎以下動画は、キンバリー・ジョーンズという女性が、アフリカン・アメリカンのおかれる現状(人種差別と経済の関係性)をモノポリーゲームに例えて分かりやすく説明している。これは本当にぜひ見てもらいたい。



⚫︎BBCにより編集されたバージョン


全世界、全ての人が平等である事は不可能だ。世界から不条理を無くすこともおそらく不可能。だからまずは自分の声が届く範囲の人に1人でも多く届けばいいなと思う。そしていつかそれが、自分の範囲を超えて少しでも広がれば嬉しい。



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