登壇者はあくまでも”素材”
「Nサロン」の定例会に参加してきました。日経新聞社とnote(ピースオブケイク)が共同で主催するオンラインサロンのようなもの。でも、今までのオンラインサロンとは違う、あたらしいコミュニティのかたちです。
Nサロンに入った経緯はまた今度。(といっていつになるのか。笑)
今までのサロンは圧倒的なインフルエンサーがいて(ホリエモンとかはあちゅうとか)その人たちがメインでサロンを作っていくというイメージがありました。
Nサロンにはゲストこそいるものの、主催者は圧倒的なリーダーではありません。参加者全員が主催者であって参加者が主役です。
8/9(金)の定例会では『議論メシ』の黒田悠介さんをゲストにお迎えし、コミュニティづくりについて話し合いました。
そこで感じたことをなんとなくまとめていきます。
ゲストの黒田さんのコンテンツは全部で90分。でも、スライドもカンペも何も使っていませんでした。
はじめの数分は「sli.do」を使って、会場のみんなが投稿した「黒田さんに聞きたいこと」を中心に話して、あとは五人ぐらいのチームに分かれて議論をおこなっていくという形で進められました。
議題も何も決まっていない中から、会場の中からの疑問に答えていく形で、そのあとに行う五人の議論の議題がなんとなく決まっていきました。
話す内容も定例会のコンテンツも黒田さんが提供していたのではなく、コミュニティから生まれたってかんじです。
登壇者(黒田さん)のお話は私たちのインプットであって、実際にディスカッションに参加することでアウトプットしながら定例会をみんなで作っていきました。
「sli.do」を使っていく中で、コミュニティにおいて仲間ってどうやってできるんだろう?という疑問が湧いてきました。
これを今回の議題としてみんなで議論することになりました。ただこれは答えを求めるものではありませんでした。それぞれの意見をきいて、ゆるく意見交換しあうという感じでした。
私たちのグループでは、ただ単にコミュニティがあるだけでは仲間にならない。そこに「共通体験」や「共通目的」があって初めて仲間になる。という意見がでました。
与えられた場所やゲストのお話を消費するだけでは仲間にはならない、ということです。noteを使っていてNサロンに参加しているだけではだめだよってこと。
じゃあ仲間になるにはどうすればいいのか?
「取引」=私は登壇者なので話します。私は聞くだけです。という関係なのではなく、
「贈与」=あなたが持っているストーリーを聞きたい。私も私の知識と体験を与えます。
この関係があってはじめてコミュニティになる、仲間になるんじゃない?というかんじでまとめに入っていきました。
Nサロンのコミュニティ
Nサロンは年齢も職業も経験も目的もそれぞれみんな違うストーリーを持っている人が集まっています。私が皆さんのお話を聞きたいと思っているように、もしかしたら私のストーリーを必要としている人がいるのかもしれない(?)
と思いました。(そのためには自分の専門性を高めることが第一条件ですが。)
「贈与」することではじめてその組織に貢献しているのであって、そうしなきゃ仲間にはなれない。自発的に動くことが必要なのだな、と。お仕事ではもちろんこの心意気がないとやっていけないけど、プライベートでも絶対必要なこと。
だって友達同士の関係でも、自分ばっかり話すのも、自分ばっかり旅行の手配、食事の手配するのいやだもん。
私「ホテルは私とるね!」
友達「レストランの予約しておいたよ!」
といった関係が心地いいもん。
コミュニティ運営者の役割
メンバーが自発的に動く仕組みをととのえることが運営者における役割なんだなって思いました。
黒田さんも、五人に分かれる過程だったり、「sli.do」を使うことであったり、みんなが話しやすい場をつくっていました。「場所や仕組みは作るけど、内容は皆さんがつくるんだよ」ってゆうか。
本当に仕組みづくりが上手い人だな、と。
Nサロンも、部活ってゆう仕組みを作ったり、コワーキングスペースとして場所を提供したり、みんながnote書きやすいようにしてくれる。
それをどう使うかはそれぞれ次第ってことなんだな、と。
まとめ
「いろんな知識を得たいのでお話し聞きたいです。」っていう私の一番はじめのマインドは見事に打ち砕かれました。
私が持っていることを「贈与」しないとはじまらないなって。
「書く仲間のできるサロン」なのに自分が書いていなかったらなんの意味もないなと。
がんばりまーす。
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