知っている言葉よりも、感じられることの方が多いこの世界で。
2人で決めた更新頻度は「2週間に1度」だったけれど、とっても時間が空いた気がします。
とってもつらい出来事がありまして、大好きな読み書きさえもできませんでした。おかげさまで、読みたい本やnoteが山積みに。これから楽しめる!と前向きに捉えることにしました。
(今度ゆっくり聴いてくれ!)
――――――――――
「自信がない」って、すごくわかる気がする。
言葉を選んで、丸めて、それから丁寧に包む。それを渡した相手が喜んでくれたとしても、「これはベストじゃなくてベターなんじゃないか…?」なんてことまで考えてしまう。
そんなときに浮かぶベストは、思ったことをズバッと言うことだったりもするから悩ましい。選んで、丸めて、包んで…あれ?これ裸で渡した方が優しくない?みたいな。(過剰包装のプラスチックじゃないけれども)
そんなことを考えはじめると、「これって自分じゃなくてもいいんじゃないか」とか「誰にでも言えることじゃないか」とか、ますます迷路の出口は遠ざかる。
いつかの文章でも書いたけれど、自分はいらないんじゃないかと思うことより、やっぱりここに居たいと思うことの方がずっとむずかしい。
もりきょんが言うように、伝えた言葉は100%そっくりそのままには伝わらないし、受け取り方は人の数だけある。だから悩むんだよね、お互いに。
パレットの上の青色じゃとても
描けそうにない この晴れた空を
ただちゃんと見つめていて ありのままがいい
パレット / ポルノグラフィティ
――――――――――
10聴かせたいなら20聴くって言うのは、さも相手に寄り添うような言い方をしてしまったなぁと思ってる。
厳密にはそうじゃなくて、20って数字も言葉の綾なのだけれども、相手の考えを聴かずに「わたしの考えを理解して!お願い!」と言うことに、とてつもなくモヤモヤ。そんな気持ち。
少し話は逸れるけれど、もりきょんがよくツイートしている#Spotifyで流れてきたは、公開書簡をする仲になれたから興味があるし、けっこうな頻度で聴く。(なので続けてね。笑)
でも、これが仮に#Spotifyで流れてきたから聴いて?とLINEで直接問い掛けられていたのなら、正直げんなりしてしまっただろう。
だから、もし僕がもりきょんにどうしても聴いてほしい音楽があるのなら、まずはもりきょんが好きな音楽が知りたい。たとえ一方的に勧めても、それはきっと届かないと、僕自身がそう思っているからだ。
これも言い方を変えれば、届けられる「自信」がなくて、気付けば同じように石橋を叩いている。もう、なんてしおらしいのかしら!
相手を傷つけたくない気持ちも、届けたい思いも、きっとそれらは伝える側が「自分のため」に考えていること。その後ろめたさを「自信がない」と表現するんだろうな…。
でもそこに他人が交わるから、あたかも互いを思いやっているように映る。それを「優しさ」と言うのなら、もっともっと、みんなと一緒に居たいなあ。なんてことを思うのです。
僕が僕のために作る料理は、「優しさ」じゃないでしょ?
・
・
・
・
・
…と、まじめな話が続いてしまいました。笑
次は少し、アクセルをゆるめてみませんか?
もりきょんが好きな言葉とか、時間とか、はたまた景色とか…?
そのあたりをきいてみたいなあ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?