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保護入院中の義理弟

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[登場人物]

・私 (都会で夫と二人暮らし)
・夫
・お義母さん(夫の母・お義父さんの急死により2023年秋から同居後、2024年2月に老人ホームに入居)

・お義父さん(夫の父・地方でお義母さん、弟と3人暮らしだったが2023年夏前に他界)
・弟(夫の弟・成人後職歴無し・お義父さんの死後、うつ病.統合失調症を発症し保護入院)

・叔父さん(3人兄弟のお義父さんの弟・妻と同地方で2人暮らし・子供なし)
・叔父さんの妻

・叔母さん(3人兄弟のお義父さんの妹)

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2023年の年末に行動や言動がおかしくなり、どういう経緯かはわからないが叔父さんが病院に連れて行ったところ、
うつ病と統合失調症と診断され即保護入院となった夫の弟。

夫と弟は仲が良いことは無く、小さい頃は普通に過ごしていたが、
神道に入れ込んでいる家族に小学生時代から違和感を感じていた夫は
その後、同じように、家族に言われるがまま神道に染まっていく弟とも距離をとるようになった。

夫が中学、高校の時代は、弟はサッカーが好きで、サッカーを頑張って続けていたそうで、センスも悪くなかったらしく、
夫は18歳で実家を出た後も、弟の将来を思ってプロテストを受けさせるよう調べて手続きし、本人をプロテストに向かわせたこともあったらしいが、
結局はテストには受からなかった。

叔母さんの証言では、弟はいじめにもあっていたらしく(定かではないが)
内向的な性格になっていったとか。
高校を卒業しても働かず(続かなくて働けず)
叔父さんの経営する仕事を手伝わせて、続けていた時期もあったそうだが、
お義父さんの借金を肩代わりしていた叔父さんは、
お義父さん家族にそれ以上お金を渡したくなかったのか、弟に賃金は払っていなかったという。いわゆるタダ働き。
それを知ったお義父さんが怒り、弟に「もう行くな」と言い弟は再び無職となった。

その後、弟は仕事をせず家にいることがデフォルトとなった。
夫はお義父さんに何度も弟をどうするのか、なんとかして働きにいかせないと、と伝えて来たが、お義父さんの返事はいつも「なんとかするから」
合わせて夫に頻繁に生活費を求めてきていたお義父さんに嫌気がさし、
いくらか渡して来た夫もお金を渡さなくなり、盆や正月にもお金を催促されると思うと嫌になり、帰省が遠のいていったと同時に、家族との距離を広げていった。

弟は両親や叔父さん夫婦に従順で、言われたことや指示されたことには全て従っていた。
家族の言うことが全てで他の意見を知らない、他の意見がある世界を知らないという感じだ。
私が夫と初めて実家に挨拶に行った時も強い違和感があった。
私は弟が働いていないということを聞いていなかったので、まず弟が実家に居た、ということに驚いた。
夫に「弟さんは何してる人?」と聞いたことはあったが、「俺もよくわからない」と返されていた。
え笑 と笑いながら返したが、「だいぶ昔に実家を出ていて連絡もそんなに頻繁にはしないから、現状はあんまり把握していない」と言っていた。

弟は両親との席にも当たり前のように同席し、
お義父さんとお義母さんの隣で正座をして、ずっとお義父さんの顔を見ながらニコニコと微笑んでいた。
穴の空いたジャージ。玄関に置かれていたボロボロのコンバース。
色褪せた薄い色のポロシャツ。
弟を含め家族が3人とも背中が大きく曲がって、猫背になっている。両親の年齢的にも腰が曲がるような年齢ではないのに。
弟が仕事についていないのは簡単に想像できる風貌だった。

話し方も違和感があった。
受け答えを横で聞いていても、私にはあまり理解できなかった。
両親に何かを問いかけられても、文章ではなく単語で返す。
初めて会った私のことも「おねえちゃん」と言った。
弟と私は同い年だし、〇〇さん、ではなくいきなりのおねえちゃんに
私もさすがに固まってしまった。
あぁ、この人は多分、一般常識を知らない人だと思ってしまった。

あの時感じた違和感が、お義父さんの死と同時に表にはっきりと出てきた。
いきなり都合をつけてこられて、あてがわれた介護の仕事を叔父さんにさせられ、
40代になるまで働いてこなかった、家族以外と関わってこなかった人間には、無理があって当たり前だった。
私と夫が話して勧めた生活保護と就労支援を受けようとせず、叔父さんに従順にしたがった結果、案の定彼は壊れてしまった。

保護入院に関係する書類などの手続きに必要な同意書には、
「本当はサインしたくない」と言いながら仕方なく夫がサインした。
その後、病院から定期的に夫に連絡がくるようになった。

保護入院間もなくからしばらくは、誰とも口を聞かず、食事もせずだったそうだ。
その後、発狂したり、一人で会話するようになり、一時的に鍵のついた部屋に移動させられていたらしいが、
年が明けてお義母さんが施設に入居し、しばらくした頃、弟の容体は落ち着きを見せ、一般病棟にうつったと連絡があった。

この後も定期的に、病院から弟の状況が報告され続けた。


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