意思のないお義母さんとの生活

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[登場人物]

・私 (都会で夫と二人暮らし)
・夫
・お義母さん(夫の母・2023年秋から同居開始、要介護3)

・お義父さん(夫の父・地方でお義母さん、弟と3人暮らしだったが2023年夏前に他界)
・弟(夫の弟・お義父さんの死後、長年の無職を経て介護施設に勤務を始める・実家暮らし)

・叔父さん(3人兄弟のお義父さんの弟・妻と同地方で2人暮らし・子供なし)
・叔父さんの妻(叔母さんが2人出てくるので叔父さんの妻とする)

・叔母さん(3人兄弟のお義父さんの妹・嫁いで同地方で夫と2人暮らし)

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お義母さんと一緒に暮らし始めて1週間のうちに、
想像しなかったお義母さんの生活動向が見えてきた。
元々、実家では万年床で寝ているかその場で上体を起こして食事やテレビ鑑賞しているか、くらいしかしていないようだった。
腰が90度に曲がっていたので歩く事や動作に時間がかかることは想像していたが、
想定外がたくさんあった。

まず、朝自分で起きない。
目が覚めていない時は起こすものの、起きていても私たちが起こしに行くまで起きなかったり、起きていて起こしてほしい時は、
パン、パン…と手を叩いて起きている事をアピールする時もあった。
その後、布団をめくってあげてやっとゆっくり上体を起こす、といった感じだった。

食事は食べ終わっても自分で片付けようとしない。
また、食事には食べ終わるまで1時間かかることもあり、
こちらが食べ終わった頃に声をかけないと、
食事が終わったことも知らせてこない。
座って空になった食器を前にしたまま動かないのだ。

テレビを見たまま少しも動こうとしない。
前記事で書いたように、チャンネルを自分で変えることもしない。
リモコンを手渡して好きなものを見ていいと伝えても
目の前にリモコンを置いたまま、触ることもない。
リビングでずっと座ったまま、トイレ以外に席を立つこともなく、
一日が終わることも常だった。

日常的な動作がわからない。
朝晩の着替え方がわからない。
目の前に着替えを揃えて出しても、どれを脱いでどれを着れば良いかがわからない。
夜着替えたら寝る、食べたら歯を磨く、といった動作がこれまでの日常と違うせいなのか、自分で次は何をしたらいいのかがわかっていないため、その都度次の動作を聞かれては答えて動作の見守りをする。

自分の意思を伝えない。
トイレに誘導しても尿意がない場合は拒否できない。
AかBどちらかという選択を促しても、自分で選択できず、
「どっちがいいんかなぁ」の一言で止まってしまう。
喉が渇いた、寒い、おなかがすいた、などの自己主張もないため、
色々と、これはどうしたい?これはこっちにしておこうか?と聞いても話が進まなくて
どうしてあげればいいのかがわからなくなることも多々あった。

動作は遅くても、慣れてくれば自分で日常の流れを認識して動こうとしてくれると思っていた。
それも認識として甘かった。
なかなか覚えてくれないお義母さんに、
私と夫は、引っ越して新しい生活になったから仕方がない部分もある、と思いながらも、
認知症を疑い始めた。

実家では病院にかかることはなく、
往診に来ていた医師がいたそうだが、
簡単に診て同じ薬を出すだけの診察だったそうだ。
同居していた夫の弟からは、「ちょっと物忘れがあるくらい」としか聞いていなかったため、生活に支障がでる程度ではないのだろうと思っていた。
そもそもお義母さんや、亡くなったお義父さんが日常的な生活ができていないにも関わらず、往診だけで済ませていた弟にも疑問を持っていたため、
あらためて弟の責任能力のなさにがっかりした。

私はお義母さんを受け入れたことを、受け入れて1週間もしないうちに正直後悔し始めた。
こんなに大変なんだ。
家事も仕事も自分のペースでできなくなり、
言い方がひどいと思われるかもしれないが、
自分が大好きだった自宅のリビングにはずっと知らない他人が居座っていてその人の生活を、何もできない犬や猫を世話するように手をかけてやらないといけない。
リビングで全然ゆっくりできず、自分の仕事部屋に逃げる日々。
夜はゆっくり眠れず少しの物音で目が覚め、夜のトイレ見守りで眠れない。
イライラと疲労の限界だった。

やっと出張の前日。お願いしていたショートステイの日が来た。
ショートステイの準備も大変だった。
持ち物全てに名前を書き、連絡事項をたくさん記入しないといけなかった。
そして朝、玄関に用意しておいた車椅子にお義母さんを座らせ、
迎えに来てくれた職員さんにお義母さんを託し、玄関の扉を閉めた。

行った…行ってくれた…
しんどかったぁ…ずっとしんどかった……

私はその場で泣き崩れて壁にもたれかかってしまった。
精神的に限界だった。
神経質で、きちんとやらなければ!と思ってしまう自分の性格に
自分で押しつぶされてしまった。
夫にはずっと、やりすぎだよ、そこまでしなくていいよ、と言われていたが、
お義母さんに任せたところでさらにその見守りで時間がとられ、
自分の家事や仕事の時間が削られるのが嫌で、自分でやってしまったいたのだ。

やっと出張前日にお義母さんから離れて平穏を取り戻せたものの、
出張のための準備はほとんどできず、その苛立ちもお義母さんへ怒りとなって向けてしまいそうだった。
始めこそ、ずっと家にいるのもと思い少し外へ連れ出してあげたり、会話しながら一緒に食事をとったりしていたが、
そもそも一人が好きな私は、いたる生活シーンの全てにお義母さんがいることに気持ち的にきつくなってしまい、
1週間もしないうちに食事は自分の部屋でこっそり摂ったり、
家でずっとテレビを見ておいてもらう日々に転換していった。
うまくできない自分を責めながら、
でも無理、仕方がない。を脳内で繰り返す。

出張が終わればまたこの生活が帰ってくる。
辛い。しんどい。そんなことを考えながら仕事をしている自分も嫌で
仕事に集中できなかった。

出張が終わってショートステイから帰ってくるお義母さんを待つ。
嫌だ…帰ってこないで。
できるだけ遅く帰ってきて。
あぁ、もう帰ってくる…
嫌な嫁だと思う。こんなこと思われてるなんて。

お義母さんが帰宅し、また日常が始まった頃、
ケアマネージャーさんが家に度々来てはデイサービスとショートステイの契約や手すり、スロープなどの取り付け手配などでバタバタした。
やっと通所が始まり、週の前半はデイサービス、週の後半はショートステイに行ってもらう日々にシフトしていった。
少し気が楽になりながらも、やはり二人っきりになる時には辛いものがあった。これはきっとこの先も変わらないだろう。

夫と相談し、やっぱり特別養護老人ホームに入ってもらおう。
いろんな理由でそれしかないということになった。
お義母さんにこのことを伝えたのだが、
お義母さんの気持ちはその時々で様々だった。

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