読書メモ 戸田山和久著『科学哲学の冒険』第八章 そもそも、科学理論って何なの

科学理論を文の集まりと考えて科学哲学を論じる立場を「文パラダイム」と呼ぶ。論理実証主義者は科学理論を公理系の形に整備できるものと考えた。これが文パラダイム。

科学的説明には法則から被説明項を導く以外の重要な科学的説明が複数あり、とくに重要なのが「~という仕組みでこうなった」というような原因突き止めタイプの説明では、法則が使われるとは限らない。文パラダイムは法則偏重になりやすいが、科学理論に出てくる法則らしきものには文パラダイムが法則に期待するような普遍性も必然性もない。

文パラダイムは理論変化のダイナミクスをうまく扱えない。同じ理論を微修正したり、洗練したり、まとめなおしたりといったことが文パラダイムでは扱いにくい。少し書き換えただけで違う理論になってしまい、同じ理論が少しづつ変わっていくということが言いにくい。

そこで科学理論を公理系ではなく公理系のモデルであると考える方法(意味論的とらえ方)をフレデリック・サッピやロナルド・ギャリーが精力的に展開している。モデルとは、公理系のような文の集まりがあったときに、その文すべてが当てはまるような構造のこと。(※モデルについて論理学の教科書を見たら「議論領域Dと各記号に意味を割り当てる付値関数Vの組み合わせ<D,V>」のことだと書いてあった)実数論の公理系は実数が全体として作っている構造に当てはまる。逆に言うと、実数の構造は実数論の構造を真にする。文やその集まりは言語的対象という。しかし、モデル自体は言語的対象ではない。「当てはまる」とか「真にする」といった関係を持つ言語的ではない何かであり、これを意味論的対象と呼び、言語的対象と意味論的対象の間に成り立つ関係を意味論的関係と呼ぶ。意味論的とらえ方では、科学理論を公理系のような言語的対象ではなく公理系があらわす構造、モデルと同一視する。

気体分子運動論のモデルは現実の気体(実在システム)を理想化・抽象化した構造。公理系とモデルの間には意味論的関係が、実在システムとモデルは互いに類似関係を持つものとして扱われる。

抽象化は実在システムのうちのいくつかの重要な点だけを抜き出して注目すること。理想化は実在システムが物理的に満たすことの不可能な条件を想定して考えること。どの程度の抽象化や理想化が必要かは理論の目的によって変わる。

科学理論が、公理系ではなくモデルであるなら文で表現される必要はない。理論を表象するものは自然言語や数式である必要はないが、文パラダイムでは、図、グラフ、ダイヤグラム、事例、アニメーションのような文以外の表象は補助手段という扱いになる。


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