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"かわいそう"の一歩先へ

”バングラデシュ”という国名を聞いて何が思い浮かびますか?
 ▶世界最貧国
 ▶ストリートチルドレン 
 ▶低い識字率
 ▶洪水
 ▶テロ
 ネガティブなイメージしか浮かばない。これが正直なところだと思います。

ネガティブな国の現実

バングラデシュで暮らしていると、まずはこの国がもつエネルギーと喧騒にやられて疲れきってしまうことが現実です。

「時間を守らない」「約束を守らない」のは日常茶飯事、「給料は?」「まだ結婚しないの?」と個人的なことをズカズカと質問され、家にドカドカ上がり込んできて冷蔵庫の中身チェックをされた日には、「玄関に鍵を閉めてもう居留守を使おう」と固く心に決めたものでした。

また、一歩外に出れば、ストリートチルドレンや物乞いの人々から「ボクシーシ」とお金を求められ、自分が日本人としてぬくぬく暮らしていることへの罪悪感が募り、ぼったくられそうになったり「チンチョンチャン」とからかわれては喧嘩をして疲れ果てる。。

そんな私がこうして20年もバングラデシュと繋がり続けているのは、マイナスを乗り越え、バングラデシュの豊かさに辿り着けたからです。

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日常に散りばめられた“豊かさ”

停電の夜には、星空の下、みんなで外に出て座り、チャをすすりながら他愛もないおしゃべりをする。

道に迷っていれば「どうした?」と何人ものおやじたちに取り囲まれ、あーでもないこーでもないと一緒に悩んでくれる。

満員のバスに小さい子ども連れの親子が乗ってくれば、「膝に座りなさい」と見ず知らずの子を自分の膝に乗せてあげる。

20人近いひとと「元気?」「今朝は何食べた?」と挨拶し合うのが当たり前の出勤風景がある。

バングラデシュには、日本ではどこかに置き忘れてきてしまった、派手ではないけれどじんわり沁み込むような豊かさがあるとひしひしと感じました。

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”かわいそう”の一歩先へ

日本に帰国していつも残念に感じているのが、バングラデシュを「かわいそうな国」としてしか見てもらえないことです。

そして、「学校を建ててあげなきゃ」「寄付してあげなきゃ」と、”先進国の私たちが何かしてあげなきゃ”という上から目線な態度に繋がっているように感じられるのです。

バングラデシュやいわゆる発展途上国と呼ばれる国が持つ豊かな面を学び、日本での自分たちの暮らしにどう活かしていくか、そんなアプローチがあったっていいはず。

”かわいそう”を越え、一歩踏み出し突き詰めていくことが、バングラデシュと出会った私の責任であり恩返しでもあるように思うのです。

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