見出し画像

【アメリカ留学1】日差しの強い街にやってきた

最後にnoteを更新したのは、日陰でゴロゴロしていた頃。
今頃、朝顔は萎れてしまっているのでしょうか。
気が付けば、日差しの強い、アメリカはサンフランシスコにいる僕は「ちょ」です。Hi !

これから、シリーズでアメリカでの留学生活の話を書いていこうと思います。

さて、最初となる今回は、
苔が生えていた2021年末から2022年8月にアメリカ研究留学に至った経緯を少しお話しします。
僕のケースは「超ラッキーなケース」なので、どのくらい参考になるかは分かりませんが、こういうケースもあります。。

学位を取ってから留学を目指すまでに


振り返ると、2020年4月、博士の学位を獲得したばかりの僕は「ゆくゆく助教に」という条件で、某国立大学にポスドクとして雇用されます。
分野としては聴覚障害の研究。
感覚受容に興味を持っている僕はとてもときめいていました。
しかし、残念ながら研究室の人間関係が非常にうまくいかず(正確に言うと、ここのボスとほとんどの人がうまくいっていなくて、僕もその一人、、)、
2021年の某月に助教の話を辞退し、退職しました。

次が決まらぬままの退職で、目の前がしばらく白んで苔が生えていた頃、自身にとっての一大決心をしました。
それは、「海外で研究してみて、どうにもならなそうなら、研究の世界を離れる」と言うものでした。

留学先が決まるまでの流れ

当時の僕の研究実績は、

  • 専門分野;神経科学、薬理学、遺伝子工学

  • Apply時の実績;1st論文4、共著4、学振なし、民間奨学金2、民間研究費1、研スタ、国際学会の発表賞くらいです

残念なことに、誇れるような研究成果を持っている訳でもなく、英語のCVを書き上げるのに苦心しながら、自分のレベル+αで分野ドンピシャのラボを論文をもとに選定していました。
40数ラボをリストアップし、行きたいところに順にメールを出し始めました。
その際、下記のサイトを参考にさせていただきました。

そんなこんなで、ベースとなるメールの文章やCV、motivation letterなどを完成させ、メールを送り始めました。

こんな感じでリストアップしていました

大体、1日1-2通のペースで送っていたある日、5つ目のラボにメールを送った時でした。
送信約30分後、「お話ししませんか?」と返信。

「いや、早すぎやろ!!逆に怖いわww」

と思いながら、Zoomで話してみると、
大学院時代のボスの、ポスドク時代の同僚らしく(知っとけよww)
今ちょうどポスドクが欲しいとこだったと言うことでした。

すぐにセミナーを開いて欲しいと言われて、日本時間深夜2時から英語で博士の仕事を1.5時間くらい話し、受け入れていただけることに!

もちろんgrantを持ってた方がベターだけど、1年くらいなら全然出せるよ!と言っていただいたので、海外学振などの準備をしながら、手続きがスタート!
結局、2022年の8月末から働けることになり、今に至ります。

僕にとって重要だったこと

前の職場の関係で、退職後は自己肯定感が底値を叩いていて何もできない時期もありましたが、
自分の希望や意志をどんどんアウトプットしていかないと何も始まらないと言うことを再認識したのが重要でした、教訓っぽいぞw

メンタルケアの本なんかにはよく、自己肯定感を下げてくるような人物とは距離をとった方がいいと書いてありますが、まさにその通りだと思いました。
次のとりあえずの国内拠点に移りつつ、立て直していきました。

為替相場もうまくケアされて、この円安底値地獄をなんとかしてほしいものですね(本当に切実w)

今後、入国や生活、仕事のセットアップなどに関しても僕のケースについて発信できればと思います。

ご質問やご感想などはTwitterで受け付けてます。
よろしければ、なんでもどうぞ!@chololologlobal


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?