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第一の人生が終わった日

ちょうど7年前の今日(2/14)、
仕事帰りの車中で、
バレンタインデーのチョコの事を考えながら
家路を走っていたら、
両手両足のシビレを感じ、

もしかして脳梗塞?

と怖くなって、
すぐ病院に行くも、

ただの疲れでしょう

と、
ビタミン剤を処方されて
帰された。

家に帰ってもシビレは治まらず、
深夜1時過ぎに目が覚め、

やはりおかしい!

と思い、
一人で別の大きい病院へ。

深夜の緊急ということもあって、
やはり詳しい検査はできず、

様子をみましょう

ということで再び帰宅。

脳梗塞を疑っていた私は、
2度も病院でそうではない
と言われたので、

今夜一晩寝たら治るかな?

と淡い期待を胸に、
帰宅して寝た。


翌朝、
その期待は裏切られた。

手足のシビレは前日よりも強くなり、
さらに口の中にもシビレを感じ、
明らかに呂律も回らなくなってきていた。

これはただ事ではない

妻はその日講演の仕事があったので、
すぐに救急車を呼んで、
妻娘を送り出したあと、
家の駐車場で一人救急車を待った。

待っている間にもどんどん
体がだるくなっていき、
救急車が来る頃には
立っているのもきつく、
座って待っていた。

救急車が来て、
担架に乗せられ救急車の中に。

衝撃だったのは、

どこに行きますか?

と聞かれたこと😅

救急車って、
自動的にどっかの病院に
運んでくれるんじゃないんだね😅

戸惑っている私に隊員が
候補の病院を3つ挙げたが、
そのうちの2つは
昨日すでに行って

分からない

との診断だったので、
3つの候補の中では
一番家から遠かったが、
残り一つの沖縄協同病院へ
連れて行ってもらった。

病院に着いたら、
血液検査、
レントゲン、
CT、
MRI、
エコーなど、
いろんな検査したが、
全て異常なし。

医者たちが私の周りで
首をひねっている中、
医者の一人が、

これはギランバレーじゃないですかね?

と言ったのを今でも
はっきり覚えている。

そんなこんなで緊急入院となり、
その日の夕方には呼吸困難になり、
気管挿管&人工呼吸器に繋がれ、
そこから数日間、記憶がない😅


それが私の第一の人生の終わりで、
また第二の人生の始まりだった。

そこには辛いことも
悲しいこともあったけど
(特に家族には迷惑をかけた)

初体験やうれしいこと、
楽しいことも満載で、
ポジティブに生きることへの
気付きを得られた貴重な経験だった。


その経験が他の誰かの
役に立てばいいな、
と思ったので、
ここにちょくちょく
書いていこうと思う。

続く…

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