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地元で起業日記 No,19比企起業塾に入学


第三章 副業と私 


~起業準備から稼げるようになるまで~

僕は現在38歳で奥様と4歳の息子の3人家族。これから不確実な時代の中でも自分の力で稼げるようになりたいと地元で起業を目指している。起業準備中の今、なぜ僕がサラリーマンを辞めて地元で起業を目指したのかを過去を振り返りながら書いておこうと思う。そして起業前のリアルな試行錯誤を2週間毎に更新して、稼げるようになるまでの出来事や様子を書き留めておこうと思う。いつか僕と同じ様に自分の力で人生を歩もうとしている人に、少しでものお役立てば嬉しいと思う。早く稼げるようにならなければという焦りは勿論あるけれど、方向性を間違わない為に自分のrootsと向き合う事も大切。まず1年間を目標に更新していきます。 2023年7月8日スタート。


目次

■第一章 商売家系と僕

1,母の手伝いから

2,遊び場だった製材工場

3,配達と地域の繋がり

4,恩師との出会い

5,木の自由研究

6,おじちゃんおばちゃんが誇らしげに見えた

7,身近にいる素敵な人に磨かれた美意識


■第二章 営業と俺

8,大学を卒業して営業会社に

9,「ダイレクトセールス」ってこういう事なんだ(会えなきゃ始まらない)

10,反響案件はいりません!

11,24時間いつでも電話して良い上司

12,尊敬する社長との出会い

13,営業成績が上がる一方で

14,愚か者のメンタルダウン


■第三章 副業と私 

15,社会との繋がりをもう一度

16,「自分通知表」を書いて再就職

17,住宅業界で感じた違和感

18,国産材は嫌われもの。(何で国産材なの?っと言われる)

19,比企起業大学に入学

20,こりゃダメだ!!木材業界の希薄な関係性(ウッドショックなのに使わない)

21, 副業(大きなメリットと少しのデメリット)


(第四章 起業 )


【No,18 比企起業大学に入学】


相変わらず現場では外材ばかりを使っていた。日本にはこんなにも木があるのに何故使わないのか。その事に疑問を抱く人は私の周りには一人もいなかった。


「今地元の山はどうなっているのだろう。」


そう考えながらモヤモヤする日々が続き、ネットで地元を検索をする事が増えていた。仕事の合間に調べているたある時、一つのホームページに目が止った。

ときがわカンパニー・・・
ときがわカンパニー・・・? 
何だろうと思い見てみると、


「ときがわ町に、人が集まり、仕事がうまれる」


「ミニ起業家の支援」


「インテリア事業部」と書いてある。


さらに内装木質化、ときがわ木材の販売ともある。気になる会社があると経営者を調べる職業病の私は、代表の「関根雅泰」さんを直ぐに見つけた。どの様な方なのだろうと検索すると、もう一つ会社を経営されていて非常に忙しい方のようだ。地元ときがわ町にこんな凄い人がいるのか。それはもう何かに惹かれたように、とにかくお会いしたくて堪らなくなった。営業中に車を止めて検索を続けた。すると何かの打ち上げ(飲み)に参加する予定の記事を見つけた。読むと関根さんの元で学んだ起業家が喫茶店をオープンしそこで打ち上げをやるらしい。しかも奇しくも日付は今日。場所は地元の隣町のどこか。もしかしたら今日お会い出来るかもしれない!勝手に期待が膨らんでいた。もしお会い出来たとしても迷惑かもしれない、アポも無く何だお前は!と怒られるかもしれない。でも良い、それでも行こう、怒られたらしっかりと謝罪してまた出直をそう。出来る営業マンは可能性から発想するという信念を何度も自分に言い聞かせて、とりあえず地元の隣町に向かおうと決めた。会社は体調不良で早退し(本当にゴメンナサイ)車のアクセルを踏んだ。

隣町に入った頃には暗くなり雨が降り始めていた。とりあえず車を止めて、正確な場所を調べようと記事を見直した。日付けは間違いなく今日、場所は・・・。これがいっくら探しても見つからない。あるであろう筈の喫茶店の住所が出て来ないのだ(涙)。

それもその筈で、これは後から分かった事なのだが、その場所は埼玉県鳩山町の「ニュー喫茶 幻」と言う所でオープン当初は住所非公開。「幻」という名の通り知る人ぞ知る一軒家の喫茶店だったのだ。自分でも記事をどうやって見つけたのか覚えていないのだが、この辺りに新しく喫茶店ができるらしいという小さな記事を手がかりに、住宅地をぐるぐる回った記憶がある。

夜8時を過ぎると田舎町はどこもひっそりとしている。シーンとした住宅地を歩き続けた。すると何処からか笑い声が聞こえた。声のする方へ向かうと、一軒家のガラス越しに数名の人影が写っていて中から拍手の音が漏れて来た。絶対ここだ!と直感した。家に近づき傘を閉じてインターフォンを押そうとした。

とっちょっと待てよ。始めの一言目は何て挨拶するんだ?全然考えていなかった。流石にいきなりは怪しすぎないか。しかも一軒家、親戚が集まって盛り上がっているだけだったら、俺は不審者かも。急に不安になった私は、一度離れて家の周りを歩いた。この時傘をさすのを忘れてたせいでずぶ濡れになった姿を今でもネタにされる(笑)家周りを3周歩いて腹が決まった。

インターフォンを押した。はーい!とドアを開けて下さったのが、昭和レトロチャンネルの菅沼朋香さん

「関根さんと言う方はこちらにいらっしゃいますか?」っという不審者気味の私を菅沼さんは温かく迎え入れてくれた。

そして、中には関根さんがいらっしゃた。関根さんはめちゃくちゃ笑顔で緊張ガチガチのずぶ濡れ男を迎えて下さった。始めてお会いしたにも関わらず話を聞いてくれ、アドバイスも下さった。この時、関根さんが書き出してくれたメモは今でも大事にしている。その後講師の林さんとも国産材の話で盛り上がった。こんな夢の様な空間があるのか!っと思った数ヶ月後、現在の「比企起業大学」の前身である比企起業塾に入学をした。この日、地元での起業に向けて確かな一歩を踏み出した。

【この2週間の取組み】
・木工学校を卒業した
・地元伝統構法設計士さんの元で木使いの修行始まる
・起業仲間のキャンプ場のトイレ棟打合せ
・地元で木製看板の打合せ
目まぐるしく動き始めるが、こんな時こそバランスを取りながら継続可能な動きをしていく必要性を感じている。    

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