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「幸福にもっとも重要なのは、喜んでありのままの自分でいられることであるーエラスムス」

この本を読んだのはもう5年以上前だと思うのですが、あまりにも想定外で、そしておおきな意味を持つものでした。

マーティン・O・レイニー著、務台夏子訳『内向型を強みにする』(パンローリング、2013)

わたしは昔から、人付き合いが苦手でした。
家族ならいいけれど、外の人とはうまくつきあえず、複数のこどもたちで遊ぶときにはひとりだけ仲間外れになっているような違和感を、ずっと抱えていました。
大きくなるにつれて、「外向きには」人付き合いがスムーズなように装えるようになりましたが、腹を割った関係になるには目の前の壁が高すぎるように感じていました。

わたしはこの人付き合いの苦手な性分を、「劣っている」と感じていました。
いつだって、クラスの中心にいる子は華やかで友だちが多くて、いつだって、他人の周りには人が集まっていました。
わたしの周りには、人いませんでした。
どうやったら人の輪にはいれるのか、自分の周りに輪ができるのか、分かりませんでした。

マンガを読んでもアニメを見ても、小説を読んでも映画を見てもドラマを見ても、主人公はクラスの中心にいるような子か、端っこにいるのにいつの間にかヒーローになっているすごい子どもでした。
わたしはそのどちらでもありませんでした。
外で遊ぶのが好きで、オシャレや流行りに敏感で、ちょっとワルいことをして、そこそこに成績がいい子が、「全体的に優秀」だとされていました。

そういった偏見は世界に満ちていて、わたしが自信を持って得意だといえる英語でさえ、「自分のことを表現するのが一番重要だ」といわれて勉強していました。
わたしはテストの点は取れるし拙いながら英語の本も読めるけれど、わたしより文法も単語も知らなくて、ガバガバな英語で同年代と遊んでいる人のほうが、世間的には優れていると見做されていました。

うーん、こうやって書きだしてみると、世界への恨みつらみがすごいですね。
まだまだ出そうと思えば出せますよ。

世界は、「外向的な人」が評価されるような仕組みをしているのでした。
それは、日本で女性が男性よりも劣っているとされているように(男女格差指数を見れば明らかです)、当然のことなのでした。
でも女であることは生物学的にも人権的にも劣ったことではないように、内向型であることは人格的に劣ったことではなくて、ただ単に「そういう性質」なだけなのでした。
女が筋力で男に敵わないように、内向型は「外向きの人付き合い」において外向型に敵わないのです。
でもそれは、片方が劣っている証明にはなりません。

わたしはこの「内向型」という性質のことを読んで、「これこそ自分のことだ」と思いました。
わたしがずっと悩んできたこと、違和感を感じていたことは、わたしが劣っているわけでも人格に問題があるわけでもなく、生まれついた性質上、仕方のないことなんだと分かりました。
そして、外向型が全てにおいていいわけではなく、内向型が全てにおいて劣っているわけではないことを知りました。

これは大きな発見でした。
わたしは人格的に病んでいるわけでも、欠損があるわけでもなくて、このように在るだけなのだ、というのは、ものすごい安心感を与えてくれました。

そんなわけで、「自分は人付き合いも悪いし、友だちも少ないし、本当に友だちなのかな……」みたいな悩みを抱えている人は、一度「内向型」に関する本を読んでみることをお勧めします。
もしかしたら、あなたのそれは「内向型」の特徴かもしれないし、そうじゃないかもしれない。
いずれにしても、「そういう人がいる」というのを知るだけでも、世界が広がる気がします。

それにしても、自分のことは自分ではよくわからない、とは本当のことだと思います。
自分がどんな人間であるのか、それを知らずして、幸せになることはできません。
自分の「あるがまま」を知らなければ、「こんな自分は本当じゃない」といつまでも苦しみ続けないといけなくなってしまいます。

さて、わたしの「あるがまま」はいまここに在るのですが、自分がそのままでいられる幸福は、待っていても歩いてこないですねぇ。
自分から行動するのは苦手なんで、できれば全てお膳立てしてもらえる世界にいたいのですが、自分の幸せのためにちょっとだけ進むと、新しい景色が見れるかもしれません。

放っておいても好きなものを紹介しますが、サポートしていただけるともっと喜んで好きなものを推させていただきます。 ぜひわたしのことも推してください!