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学校選びに選択肢がなさすぎる


*この記事は2015年に書いたものを2020年にリライトしています。

僕が通信大学で小学校教員免許を取得して教員になったのは、38歳の時でした。それまでは、普通の社会人として企業に勤めたり、スクールカウンセラーとして小中学校で働いていました。

初めてスクールカウンセラーとして学校現場に入った時になんとなく感じた「違和感」。その正体がわかるまでに随分と時間がかかりましたが、小学校の教員になってやっとその違和感を言葉で説明できるようになってきました。

まず、日本の伝統的な学校においては、教育を受ける側には「選択の自由」がほとんどありません。学校は学区で大体決まっているし(学区の中では選べる場合もありますが)、もちろん担任の先生を選ぶこともできません。仮に学校が選べても、一斉授業という教育方法以外を選ぶのはなかなか現実的ではないでしょう。そして、学校に携わる大人たちの意識の違いがあります。

具体的には保護者である親と、現場で子どもたちを預かる教師。子どもの教育を考えたとき、親が自分の子どもを優先する立場なら、教師は集団としてのクラスを優先する立場です。

親は、自分の子どもの幸せを考え、自分の子どもの向き不向きを考え、学校の都合より子どもの都合優先で物事を捉えます。
一方、教師は、クラスのことだけでなく、「○年生の子どもは○○のスキルを習得するべきである」「○○まで出来るようになるべきである」という文科省が定めた学習指導要領や、教育委員会・学校が決めた画一的な基準にがんじがらめに縛られています。一人一人違った個性を持つ30人の子どもが、同じ時期に同じことを一斉に出来るようになる。

これって、おかしいと思いませんか?

でも、親も頭では学校だけが全てではないとわかっていても、一旦入学すると学校の価値観で動かざるを得なくなるケースが多いです。例えば、自己の主張がとても強い子がいました。その子の「自分の意見をきちんと主張できる」という点は実は強みに成りうる部分なのですが、学校生活の中で「一斉授業に支障をきたす問題行動だ」とされてしまえば、その子どもを注意するしかない。僕にとってこれも違和感の原因でした。

「その子どもの個性」が一斉授業というシステムであるがゆえに「改善点」になってしまうのは残念だ・・。

これが、僕が学校選びに多様な選択肢がないということは、結構「危険」なことなのではないかと感じた経緯です。そして、一斉授業でない、多様なものさしが存在する学校を探してみようという結論にたどり着いたのです。

学校の情報収集をしながら興味があれば見に行こうという計画を妻とたてた際、とてもじゃないけれど週末のうちどちらかだけ(そのころは週末のどちらかは仕事をしていたので)を使うのではどれだけ時間があっても終わらなさそうという事に気づきました。

長男の小学校入学に焦点を定めるのであれば、これは、緊急かつ重要エリア。

そして、僕は育休を取得することに決めたのでした。

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