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自己を超えた名状し難い「何か」

暑いですね。
それも毎日
焼ける様な暑さの中、商品仕入れのついでに足利市美術館に寄り展覧会を観てきました。

タイトル

顕神の夢
霊性の表現者 超越的なもののおとずれ

メインビジュアルのこの絵は鳥肌ものでした。

メインビジュアルの最近気になっていた中園孔二さんの絵が観られるという事と
仕事の後のクールダウンとして急遽行く事に決めました。

結果はとても良かった!
良すぎて心地良い引きずりを感じています。

全て日本人作家の作品で有名無名テイストもごちゃ混ぜですが展示数も含めとてもバランスがよく統一感がある素敵な展覧会

足利市美術館の担当者様の熱意とセンスを感じる内容だと思いました。


非合理的で直接的な経験が表現者にとってかけがえのないモチベーションとなることがあります。それはある種の宗教的な体験に似ていますが、宗教以前のものであり、宗教のもととなる出来事とも解釈できます。
 表現者たちは、訪れたヴィジョンをたよりに、自己を超えた名状し難い「何か」を捉えるべく身を焦がす思いで制作します。「何か」への思慕は、漠とした信仰心の発露ともいえます。しかし、描けば描くほど、作れば作るほど、その「何か」は、表現者の手からすり抜け別のものとなり替わってしまいます。そのため、彼らは向こうから「何か」がやってくるのを待つしかありません。本展ではこのような心情を仮に「顕神の夢」と名付けてみました。
 ときとして土俗的な印象を与える作品が出来(しゅったい)しますが、それは、近代化により捨象されず根強く残った心情の証しです。このような作品は既存の尺度では、測りえないものです。かといって、排除するわけにはいきません。現に作品は凄まじい力をもって迫ってきます。ならば、私たちは、作品にふさわしい尺度を学び、鍛えなければなりません。尺度がそぐえば作品は豊かな世界を開示してくれます。また、このような観点から、いわゆるモダニズムの文脈でのみ解釈されていた作品を読み直すことも可能です。優れた作品はすべからく不可知の領域に根ざしていると思われます。
 本展は、今までモダニズムの尺度により零(こぼ)れ落ち、十分に評価されなかった作品や、批評の機会を待つ現代の作品に光をあてる一方、すでに評価が定まった近代の作品を、新たな、いわば「霊性の尺度」でもって測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです。

展覧会プレスリリースより引用

引用内の
【表現者たちは、訪れたヴィジョンをたよりに、自己を超えた名状し難い「何か」を捉えるべく身を焦がす思いで制作します。】

僕がやる仕事は表現方法は違えど「何か」を捉える事は全く同じでそれが難しく辛くもありますが最大のモチベーションである事は間違いないと再認識。        

今回の展覧会とても刺激になりました。
会期は8月17日まで

もし機会があれば是非!!

渡瀬川を渡瀬橋から
この夜、花火大会がある様で原色キラキラ色とりどりの屋台がたくさん準備中でとても綺麗でした。

直感とテレパシー

  穏やかな日々
  仄かな光
  軽やかな重さ
  丸い角
  微かな電子音
  白い建物
  雪の夜
  プールの疲れ
  本当の事

made in people inspiration.

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