見出し画像

地球を良くするひとりでありたいなと願ってます。

はじめまして。
自由を愛するおばちゃん、ちょきさんです。
半世紀生きてみて経験してきた色々を
時系列は追える気はしませんが
思いつくまま書いていこうと思ってます。
誰かのなんかの役に立てばいーかなー?くらいの軽ーい気持ちで!
読んでくださる危篤なお方、内容は重ーいかもしれませんが、今の軽い気持ちにまでもってこれた色々をアウトプットしてみようと奮い立たせました。
よろしくお願いします。

もう15年程前になりますが、わたしは愛する旦那さんと死別しました。当時子供は小4と小1、そして自分は専業主婦、家事はしますが、子育ての芯は旦那の考えで行けばいいやと、自信のない、影に隠れていたいタイプの人間でした。
旦那は毎日仕事で毎日遅くて、パバと子供の繋がりの為に、交換日記でも作ろうか!と書き始めた矢先の出来事でした。
もともと持病を抱えていたので、定期的に検査してたのですが、ある日から突如お腹が膨らんで癌になりました。
余命1ヶ月。。。
まさかこんな強い旦那が、死ぬなんて思えない、絶対治療して良くなる。けどなんだよ余命1ヶ月って。どうしよう。どうしたら。。。
私たち家族の怒涛の日が始まりました。

とにかく即入院して、検査と出来る治療の計画を立ててもらいました。
旦那は敏感な気質を持っており(今では有名なhspさん、もしくは軽いグレーゾーン)、検査を受けるのも本当に大変だったし、よく頑張ったとおもいます。
わたしは何も出来ない、ただ側に付いてるしかできませんでした。
治療も効果は出ず、次の病院へ転院。
そこでも大きな効果もなく、ホスピスの話も出てました。あの当時は家族の誰もその選択肢は考えておらずに他に治せる方法はないか、家族で調べる日々でした。
そして、東京の病院に手術の出来る先生が居ると言われ、旦那は頑張って救急車に乗ってで東京の病院へ行き、手術を受けました。
大きく膨れた癌の肉腫を見て、これが取れたのだから、これからきっと良くなる!絶対大丈夫だ!と思ってました。
けれど、亡くなってしまった。
余命宣告から3ヶ月の日々。
あの日々は今考えると、とにかく自力では抜け出せないゾーンに呑まれてた。

葬儀の喪主になって、色んな取り決めをしたりしながらも、何が起きてるのかさっぱりわからない。頭はずっと真っ白なまんま。
そんな中、義理母に悲劇のヒロインと言われたひと言は何となく記憶に残った。
自分は悲劇のヒロインでいるのか…?
ああそんな自分の事なんかどうでもいい、まずは子供達の成長は待ったなしだ。
明日のごはん、学校、目の前の事やらないと…
でもこれからは
沢山の決め事、旦那に相談して決めてもらってたのに、自分が決めないとなのか…
全部の責任は自分の肩に掛かるのか…
子供達が学校に行った後は、ずっと泣いていた。
旦那の死の悲しみ、責任を負う苦しみ、自分責め、これからをどうした良いのか、もう何もかも全てがめちゃくちゃな混乱の中にいた。

これがわたしの生きてきた人生の中心になってます。ここから現実的な事や見えない世界の事などに、わたしなりの答えが出ます。
書きたい事は山ほどある気はしています。
毎日コツコツ書いてみます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?