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些細繊細


週末、記念日を迎えた。


高校生までとは違う、深くて優しい想いを抱えている。


だからといって高校生までの恋が浅かったわけでもない。あの頃の私なりに全力であった。時に思い返すこともあるし、あの頃抱いた感情はしっかり今の私を支えている。

何より、自分以外の人の考え方について勉強になった。人並みに辛さや悲しさ、寂しさに耐性がついたのも、あの頃感じたものがあったから。今の自分を作るのは過去の自分で、未来を作るのは今の自分なんだとどこでも聞けるような台詞を噛み締める。

そっと頭の中の引き出しにしまったそれを、今後も少しずつカンニングしながら、大事に抱えていくんだろうと思う。いつだって自分の経験は成功も失敗も否定しない。






そんなスタンスで、彼とお祝いに車を走らせ向かったのは、横浜と東京。社会人の彼とはなかなか時間を合わせづらいから合うときにはとことん。



お互いひどく花粉症だからって母が薬を持たせてくれた。めちゃくちゃ効いた。のに雨。一度もやまなかったけど、持っているハンデは同じ。そんな風に、どこにいてもすれ違う人が望んでいることは"晴れろ"で一致しているんだろうなって思ったら、なんかどうでも良くなっていつになく優しい気持ちになった。彼と一緒だったからなのか、それとも、夢の国のパワーなのだろうか。父が昔通ってた中華料理店にも行けて、たくさん食べ歩いて、たくさんアトラクションに乗って。とても素敵な時間を過ごせた。



彼はとても優しい人だ。ある日突然、幼馴染の紹介で出会った。聞く話ではチャラついた印象だったのに、初めて会った時は紳士的だったのを鮮明に覚えている。そんな彼と出会って1年。付き合って1年。まさか付き合うと思ってなかったし、続くなんて思ってもいなかった。1年を迎えて彼は、「きっと親や祖父母からしてみたら大したことないんだろうね」って言ったけど、私たちは私たちなりにあっという間だったし、まだまだ一緒にいたいと思えている。1年を過ごして、不満も不安も特にないこと、相手も同じように思ってくれていることが、私からしたら驚きで、そう感じさせる彼を心から尊敬している。








それでも、時々考える。いや、結構考える。


大事な人を傷つけたくないと思う分、幸せには悩みがつきものなんだろう。


最近知ったが、私は診断結果上、生まれつきHSPの気質がかなり高いそうだ。HSPとは、よく"繊細さん"と呼ばれているもの。好きなYouTuberがよく動画をアップしていたからその気質については知っていた。毎度沢山共感してたけど自分についてはまさかと思ってた。なんならそんなこと考えてもみなかったのに、そのまさかだったよ。





繊細さは人間誰しもが持っていて、中でもその繊細さが少し人より優れているだけだし、自己紹介で背が高いですって言ってるくらい恥ずかしくない話だけど、英語にされるだけで劣った気分になる。何でもかんでも略さないでおくれよと思うけど、決まったもんは仕方ない。病気なんてもんじゃないし、見方を変えれば素晴らしい気質といろんなサイトに書いてあったからって、私は受け入れた。


もちろんほとんど人には言わなかったけど、つらかった。嬉しくても悲しくても驚いても感心しても、意図せず涙が出る。知ったからこそ涙が出たのかもしれない。初めて迎えた彼との倦怠期を振り返ったりして、自分がうまく思いを伝えられないせいだ、考えすぎるせいだ、と自分をずいぶんと責めた。友人のふとした仕草や態度に敏感になり逃げ出したい衝動に駆られた。家族の少し大きい声に怯えた。家から出たくなくなって、人に会いたくなくなった。それでも会いたかった。



自分が何なのか、何をしたいのか、何を思っているのか一切わからなくなった。



そんな時に彼は私を救った。



ただ一緒にいること、それが私の全てだった。



存在価値を見出せなくても、うまく話せなくても、ただ隣にいてくれることだけが救いだった。



同じ診断を彼に受けてもらったが、彼にはほとんどHSPの気質はなかった。それなのに受け入れようとしてくれたのだ。いろんな人がいるということを教えてくれた。それでもいいと受け入れてくれた。




少し落ち着いた今でも続く。
理想や疑問、予測が絶えず私の中を巡っている。


例えば、"愛って何?"みたいな漠然としたことから、物事の細かいことまで何でもかんでもすぐに引っかかる。自分の容姿についての不満や、地震や犯罪。これから起こりうる不安が何通りも用意されている。


特徴としては五感が優れていたり、人の表情や態度に敏感だと見た。結果を知った時は衝撃で、上記の通り、今までの自分の行動を振り返って周りの人に申し訳なくなったりしたけど、おそらく分かってからの方が楽になった。甘えるべきじゃないと思っていたけど、甘えるべきところだったんだなと思う。



私にとっての愛、きっとそれは"分け合う“ということだ。



それはケーキでも布団でも。1番は想いだと思う。これは家族でも恋人でも友人でも。自分が大事にしたいと思っている人には全員。その人が分けたいと思ってくれたらそれは愛の等号。偶然でもなんでもない。なんかクサイけど、奇跡に思う。


反対に、仲がふと壊れる時もある。それは一つの言葉で一瞬。沢山後悔をする。ぐるぐる頭の中を悩みが駆け回る。言葉なんてなけりゃ良かったとまで思う。でも関係が壊れることは、悪いことじゃない。たしかに悲しいことだが、自分を一歩成長させるための試練がその人だっただけだ。そう無理矢理自分を慰めているだけかもしれないけど、そう思った方が良い時もある。相手次第で治せる時に治せばいいと自分自身に誓った。これは自分が寛容でいられるようになったということにしておきたい。


だから私は両者に感謝している。


人に支えられていることを忘れずにまた1年を過ごしたいと思う。





私は私のまま、愛すべきものを愛していられるように。




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