組織運営と敬意について考えたこと

敬意を示すことが大事とは言いますが、実際にするのは難しいのもまたよくあることです。敬意の欠如はどんなところに現れ、どう対処すべきかについて考えてみました。

例えば、経営者はすべてを自分でやろうとするのではなく、できるだけ他の人の力を借りることで、本当に重要なことに集中できるようにしていく必要があるのですが、その過程でトラブルを起こす人に共通するものの一つに敬意の欠如があると感じることがあります。

以前、あるキーレスキューのお仕事をしている方が面白いことをおっしゃっていました。

その方は技術を磨きに磨いて、かなり難しい鍵でも、ものの数分で開けることができます。

あるとき自宅の鍵をなくして入れないという依頼者のところに駆けつけ、2分ほどで見事解錠、出張費込みの請求書を見せたところ激怒されたそうです。曰く、こんな簡単な作業になんでそんな金額払わなくてはいけないのか、と。

以後、新人を連れて行ってうんうん唸らせるか、自分が作業するときはわざと30分くらい作業してるフリをして、最後にやっと開いた感を演出するようにしているとのことでした。

また私の友人に有能なイラストレーターの方がいますが、彼女もよく、ちゃっちゃっとやってよ、そんなの簡単でしょう?と言われて嫌になることがあると言ってました。

これらに共通するのは、その技術を習得するためにその人がどのくらいの時間とお金とエネルギーを投資したのかを想像することが欠けている上に、自分ではできない技術を習得した相手を、自分より下の人と見下していることだと思います。

確かに組織の各メンバーには、それぞれの役割がありますが、トップに立った人が、そんなの自分の仕事ではないとか、自分がやったらコストになる/コストに見合わないとか、できる人がやればいい、といった考えを持っていると、結局うまくいかなくなっていきます。

他にも、あの人は使えない、というセリフの背後にも同じ思いが見え隠れしているかもしれません。

いいか悪いかではなく、力を借りるはずの相手に、それなら自分でやれば?とか、自分ではできもしないくせに、やろうともしないで、と思われたら、そこから回復するのはかなり難しくなるでしょう。

選択理論心理学の提唱者、グラッサー博士は人間関係を破壊する代表的な7つの習慣についてまとめられましたが、それはあくまで代表的なものであって、人間関係を破壊する行為はたくさんあるのだということに多くの人が同意すると思います。

そのグラッサー博士は、同時に人間関係構築に役立つ身につけたい7つの習慣についてもまとめられているのですが、その中でも尊敬と信頼の重要性についてたくさん取り上げられています。

自分にはできない技術にお金をどのくらい払おうと思うだろうか、いや最低でもその人に対する感謝や敬意はどのくらい表現されているだろうか?という問いは、私たちの社会でもっと前面に出てきてもいいのではないかと思います。

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