あるパンクバンドの話

事実は一つ、解釈は無数

ドレスデンドールズというアメリカのパンクバンドについて読みました。ボーカルのアマンダさんは「インターネットで最も嫌われている人」のひとりです。
彼女に対する評価は「音楽乞食」
クラファンに早い段階から取り組み「プライドはないのか」と罵られます。
それどころかメジャーレーベルとの契約を打ち切り、ツアーではネットでお願いして、ファンの自宅を泊まり歩くようになったというのです。

でも彼女たちの選択にはこんな背景がありました。

ある時、彼女たちがライブを終え楽屋を出ると出待ちのファンの列の中にひとりの少女がいました。
彼女はボーカルのアマンダに一通の封筒を手渡します。見ると封筒の中には手紙ではなく、お金が入っていました。

アマンダは驚いてこう言いました。
「あなた、チケット買ってライブ見たんでしょう?このお金は何?受け取れないわ」
「いいんです。あなたにはそれを受け取る権利があるわ。私が一番辛い時期に、あなたたちの音楽に救われた。でも、それは友達がコピーしてくれたCDで聴いていたの。それがずっと、申し訳なかった。私はあなたたちの音楽を盗んでいた。お願いだから、受け取ってちょうだい」

アマンダにとってこの出来事は衝撃的でした。
自分たちはこのようなファンにこそ応えるべきではないのか。
これをキッカケにしてこの少女のようなファンに身近な存在であり続けるための模索が始まり、上記のような選択をするようになったのです。

まさに事実は一つ、解釈は無数。


さて、この出来事から何が学べるでしょうか?

私たちは物事の全てを知っている訳では無いのに、ある側面だけ見て他者に酷い評価を下すことがあります。

もちろん、誰か・何かに対して「私の望んでいるものではない」と思うことは、人の仕組みから考えて避けられません。
ただ、そのことを「公にする(表に出す)」ことと、自分の中に留めておくことには大きな違いがあります。
ウィリアム・グラッサー博士は、エドワーズ・デミング博士の言葉を少し言い換えて「人は他人を公に評価してはならない」とおっしゃいました。
自分の上質世界にあるものと目の前の現実が違うときに、私たちはそこに対する不快感を覚えるのは当然のこと、そして自分の行動は自分で選ぶことができるという選択理論の考え方がここに表れています。
(カラーチャート参照)

スマホの普及に伴って衝動的な行動な溢れるようになり、自分にとってよく無いと思うものをすぐに罵倒する、それが他人を傷つけようなどうしようかお構いなしいう傾向が世の中のあたりまえになりつつあります。

選択理論で考えると確かに、傷つくかどうかは相手の選択とは言え、それを言い訳にするのか、はたまた自らがどんな人でありたいかというところに基づいて「私の理想と違う人がいたとしても、この人の行動の背景に何があるのかを考えよう」とするのか。

できたら後者の行動が習慣化できるといいなと思います。

テイクチャージ/ 選択理論で人生の舵を取る ワンデーセミナーテキストp17参照〜日本リアリティセラピー協会

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