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まれに自分の心性にふれるタイミングがある

夏の夜だらだら。つくえにはアブラムシ。どいてくんないかな。
今日はもともと予定していたけれど、一日休んで家事中心の日になった。
ほんとは演習のことやったりとか、課題やったり研究やったりせねばなんだけど、案の定、ダラダラとしている夜更け。

スガシカオのラジオを楽しみに聴いているが、Googleかなんかの通知で最終回が近いと知る。Radikoのプレミアム入ってたまに聴き始めたところだったのに。先々週が村上春樹の回だと知り、なんとか苦心して遡って聴いた。村上ラジオは熱心に聴く気がないのだが、スガシカオとのふたりトークということで興味が湧いた。

村上春樹フリークな時期もあったし、今でもたいていの作品は目を通す。前にも書いたか知らないが、高校時代に作品を読んで、春樹の大学に併せて進学したくらいだったりする。のわりには、どうも新しく出来たミュージアムには足を踏み入れてないのだが。憧れるくらいが良いのだろう。

といいつつ、今でも自分にとって指針というか、足場というか、そういった存在であることには違いない。なんか、原点とか自分の基底にある心性とかが呼び起こされるから。ラジオでのなんてことはない話とか、具体的なコンテンツということでなく、カウアイ島で小説書いてたとか、J-POP響きませんみたいな話を聴いていて、別にカウアイ島住みたいとか、J-POPクソですとか同調するわけではないんだけど、独自の世界とか筋とかこだわりとかで生きているそのさまがなんか羨ましくなる。

つまらない嫌な仕事もやめて、いまは新しい仕事に就けて結構充実している。移住もして生活も豊か。で、後悔などないのだが、海外を放浪的に過ごしたり、小説書いて偏狭な生活を送っているその感じが、自分にないものだしフィットもしなそうだけど憧れるというか。
自分のように、人の評価とか気にしてたらそんな生活は出来ないだろうなと。だいぶそういうのなくなったから近づいている気もするのだが。

ま、移住して二年目だし、仕事もいつまで続くかわからないけど、春樹的生活と自分の生活の距離を意識して、なんか部分的にでもシンクロしたら良いのだろうと思うことにする。

今日は雨もふらず、森の上に夕暮れも見えて、iTunesでかけたシェリル・クロウのライブアルバムもいい感じなので、まあ、春樹的というかワセブンな過ぎし日の部分的な感覚を懐かしんでみよう。


で、そんなモードでもやっぱりやることをやろう…


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