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こんにちは。上出惠悟です。 私たち上出長右衛門窯は毎年5月に窯まつりを開催していますが、今年10月に初めて轆轤(ろくろ)まつりを開催します。轆轤師とその技術はいわば九谷焼を支える縁の下の力持ち。どんなに優れた素地を作っても、そこに絵付を施せば絵付師の作品として世に出てしまいます。河田が生前嘆いていたことでもありますが、これでは轆轤師は育ちません。また一般の皆様には轆轤挽きと型物の器の区別も判りにくいのではないかと思います。 そこで今回、轆轤にきちんと光を当て、その道具と技
こんにちは。上出惠悟です。 最期まで現役の職人を貫いた河田さん。かつてテレビ番組のインタビューで轆轤師という自身の仕事についてこう答えています。 「粘土に逆らったら駄目、僕の品物が駄目だったらその後の工程も全部駄目になってしまう。だから僕の仕事が基本なんです」 実際、河田さんの安定した仕事は長右衛門窯の支えであり、その存在は私たちの精神的な支えであったように思います。工場の2階で仕事をしている絵付師達もきっと、真下(1階)で轆轤を回す河田さんを轆轤の音とともに常に心の隅
こんにちは。上出惠悟です。 今日は5月31日に75歳で逝去された上出長右衛門窯の轆轤師・河田安弘について書きます。普段から”河田さん”と呼んでいたので親しみを込めて以降そう記したいと思います。 先ずはご家族やご親戚の方へ心より哀悼の意を表し、河田さんのご冥福をお祈りいたします。 河田さんが上出長右衛門窯に入社したのは1972年のこと。私が生まれる10年前です。単身で石川県に移り住み、それから50年間ずっと河田さんは毎日轆轤を回していました。私が中学生の時、土曜日は半日で