余命5年宣告を受けたら

死を間近にしたときに、自分の究極のエゴが何か気づく。

この言葉をくれた方は余命5年宣告を受け、そう考えたそうです。

その方曰く、物欲や食欲といった消費欲求は全く湧かなかったそうです。かっこいい車が欲しい、高級な料理を食べたい、自分を着飾りたい。

死ぬかもしれない。そう思うと、お金を使いたいと思わなかったそうです。

その人が病室でたどり着いた答えが、

「人の笑顔をみたい」

権力やお金が欲しくて、今まで生きてきたわけじゃない。自分の究極のエゴは、人の笑顔を見るためであると気づいたそうです。

この話を聞いて、私にとっての究極のエゴとはなんだろうか?と考えてみました。

幸運なことに、私は今まで病気や震災の経験がなく死を身近に感じたことはありません。

きっと私みたいに毎日朝起きて、電車に乗って通勤通学し、ご飯を食べて、人と会話して、当たり前の日常を過ごしている人にとって、立ち止まって死について考えることって少ないんじゃないかな。

究極のエゴ

私は私のことを忘れないでいてくれる誰かが欲しい。

死んでも思い出してくれる人が欲しい。

できれば悪口じゃなくて、素敵な人だったねって言われたい。

きっと私にとって大事なことは、家でも車でも化粧品やお洋服でもなくて、

人として満たされている人になることだと思う。

死んでも思い出してもらえるような、豊かな人になることだと思う。

考え抜いた末、結局のところ自分のことが一番大事なんだと気づいてしまった笑

もちろん両親や友人へ恩返しをしたい。死ぬ前にちゃんとお礼を言いたい。

私がいなくなる分も幸せになって欲しいと願うと思う。

そんな大事な人たちから、素敵な人だったねと言ってもらえる人になりたい。


よし、自分の考えがまとまった気がする!

あとは行動するのみだ!

明日も1日頑張るぞ!




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